高校ラグビー幻の“決勝戦”〈4〉「関西ラグビーまつり」で実現

スポーツ報知
26年の時を超えて対戦が実現した大工大高と茗渓学園

 ◇昭和64年1月7日 大工大高VS茗渓学園

 2014(平成26)年4月、大阪・花園ラグビー場では、84年の全国高校ラグビー決勝の天理(奈良)―大分舞鶴の“再戦”が行われていた。松任谷由実の名曲「ノーサイド」のモデルと言われた試合だ。終了直前の大分舞鶴のキックが入れば両校優勝だったが、外れ、天理の優勝となった名勝負だった。この試合は関西協会などが主催する「関西ラグビーまつり」のイベントの一つとして実現した。

 「来年は」という話になった時に、89年の大工大高(現常翔学園)―茗渓学園の幻の決勝を推す声が上がり、15年に行うことが決まった。知らせを受けた両校OBは、連絡先が分からないかつての部員を、SNSなども駆使しながら探した。「中高6年間の途中でやめた2人も来てくれました。40半ばにもなって、花園で試合ができるなんて思ってもいなかったし、うれしかったですね」と茗渓学園の主将だった大友孝芳。

 4月26日の試合に向け、大工大高は3月中旬から1週間に1回、茗渓学園は2月から2週間に1回、集まって練習。普段は、運動していない者が大半で、けが人が続出した。しかし、迎えた25分ハーフの本番では激しい試合となった。「けがをしないで帰ろう」とチームメートに呼びかけていた大友は開始5分、肉離れで退場。「元木(由記雄)君ががんがん縦に来ていた」と話す通り「実際やってみると、負けられないとみんな必死になっていた」と元日本代表・元木。

 大工大高が4連続トライを挙げ、茗渓学園が得意のパス回しで追い上げる展開となったが、64―19で大工大高が勝利。試合後は大工大高のヘッドコーチだった野上友一、茗渓学園監督だった徳増浩司を両チームの選手が胴上げ。89年、昭和天皇崩御で中止となった決勝は、26年の時を超えてノーサイドとなった。

 この試合をきっかけに選手たちの交流が盛んになり「45年会」が発足した。当時の全国大会に出場した昭和45年度生まれの選手を中心に、東西対抗が行われるようになったのだ。一昨年は名古屋に130人、昨年は東京に200人が参加。今年は3月2日、今年のW杯の舞台にもなる花園に、400人が集まる予定と、その輪は広がるばかりだ。「決勝を行っていたら、こういうことにはなっていなかったと思う。今年のW杯を盛り上げたい気持ちもみんな強い」と現在はW杯組織委員会事務総長特別補佐の徳増。他の競技でも例を見ない強い絆を喜んでいた。(編集委員・久浦 真一)=おわり、敬称略=

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