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甲子園で本塁打を放ち、箱根駅伝を走った!100回で“唯一”のレジェンド

2018年8月9日16時0分  スポーツ報知
  • 甲子園で本塁打を放った熊本さん

 100回目の夏の甲子園。連日、レジェンドが始球式に登場し、大会をさらに盛り上げている。

 板東英二さん、太田幸司さん、桑田真澄さん、松井秀喜さん…歴史に名を残した超一流選手とは一線を画す異才のレジェンドがいる。

 半世紀以上前。高岡商(富山)の捕手として1962年大会に出場した熊本武明さん。青学大に入学後は箱根駅伝に出場した。異次元の二刀流選手だ。

 熊本さんの名前を初めて知ったのは、2015年に青学大が初優勝した後の祝勝会だった。73歳の大ベテランOBの飯多一郎さんから「僕の1年後輩に熊本君という選手がいて、彼は高校時代には野球部で甲子園に出たんだ。しかも、ホームランを打った」という驚きの話を聞いた。正直、半信半疑だった(飯多さん、すみません)。

 会社で資料を調べると、熊本さんの箱根駅伝の実績はすぐに判明した。

 65年大会で1年生ながら山上りの5区を担い、区間14位。チームも14位。翌66年大会は山下りの6区を任され、区間14位。チームは13位だった。

 野球担当の先輩記者の協力を仰ぎ、甲子園の実績を調べると、こちらもすぐに分かった。

 62年夏の甲子園。当時は1県1代表制ではなく、30校しか出場できなかった。高岡商は北越大会を制し、2年ぶり5回目の出場を果たした。熊本さんは正捕手としてチームの要だった。8月13日、西関東代表の甲府工(山梨)との1回戦。0―2の8回裏、9番打者の熊本さんは逆転3ランを放ち、5―2の勝利の立役者となった。翌14日付の報知新聞には「熊本が逆転3ラン」の4段見出しが躍った。記事は「熊本の打球は一直線に左翼ラッキーゾーンにとび込んだ」という文章で始まり「内角ベルト、一番好きなコース」という談話も載っていた。

 マジか…。

 半信半疑の伝説の“裏”が取れた瞬間、私は心底、驚いた。ちなみにさらに調べたところ、熊本さんは高岡商で野球部を引退した後、全国高校駅伝にも出場していた。そんな選手は甲子園100回、箱根駅伝94回の歴史でも熊本さんしかいない。

 野球と駅伝。競技特性は大きく異なる。パワーが求められる野球選手とは対照的に駅伝選手は総じて軽量。熊本さんの後輩に当たる「3代目・山の神」神野大地(24)=現プロランナー=は体重45キロしかない。小学生まで野球少年だった神野は熊本さんの偉業のすごさがよく分かる。「甲子園で本塁打とは…すごいですねぇ」と先輩の“神業”に驚きを隠さなかった。

 62年大会の本塁打は29試合で4本。1試合当たり0・14本。2013年から昨年まで最近5大会(各48試合)は計210本。1試合当たり0・88本。当時の本塁打は現在より、はるかに希少だった。

 1915年に前身大会の全国中等学校優勝野球大会が初開催。その100周年だった2015年に「熊本武明伝説」を追った。

 とても残念なことに熊本さんは2001年に胃がんのため、56歳の若さで亡くなった。直接、話を聞くことは出来なかったが、周囲の方々から聞いたエピソードにレジェンドにふさわしいものだった。

 現在、青学大は東京・町田市と神奈川・相模原市を練習拠点としているが、1960年代は青山キャンパス付近で練習することが多かったという。「近くの表参道の坂道で600メートルを20~30本走り込んだ。表参道は今のように人がいなかったから、いい練習コースでした。熊本君は上りも下りも強かった。先頭でガンガン走っていた」。熊本さんとともに青春の日々を過ごした飯多さんは懐かしそうに振り返った。

 打撃や走りは積極的だったが、競技を離れれば謙虚な人だったようだ。青学大の後輩だった妻の章子(あやこ)さん(71)は熊本さんとお付き合いしている当時、彼の偉業を知らなかったという。「結納の時、親戚の方が『武明は甲子園で本塁打を打って、箱根駅伝を走ったんです』と言われ、初めて知りました。デートで箱根へドライブに行った時『学生時代、ここ走ったなあ』とかつぶやいていましたけど、私が聞き流してしまっていて」とうれしそうに笑顔で思い出話を明かす。

 熊本さんは68年に青学大を卒業後、故郷の富山・高岡市に本社を構える三協アルミニウム工業(現・三協立山)に入社。ビジネスマンとして活躍した。「夏休みには高校野球を、正月休みには箱根駅伝をテレビで見ていました。自分の思い出話をすることはなかったですね。静かに若い選手を応援していました」と章子さんはしみじみと話す。

 母校の活躍はめざましい。今年、高岡商は2年連続19度目となる夏の甲子園に出場し、7日の1回戦で佐賀商に4―1で快勝した。青学大は箱根駅伝で史上6校目の4連覇を果たし、黄金期を迎えている。

 夏の甲子園でホームランをかっ飛ばし、正月の箱根駅伝で山を激走した。現代ではあり得ない伝説を残した熊本武明さん。夏は高校球児を、正月は学生ランナーを、空の上から見守っていると思う。(記者コラム・竹内 達朗)

 ◆熊本 武明(くまもと・たけあき)1944年4月26日、富山・高岡市生まれ。60年、高岡商定時制(4年制)に入学。61年に全日制に編入したため、4年間の高校生活を送った。3年時の62年に夏の甲子園に出場し、通算6打数1安打3打点。規定により、3年夏で野球部を引退。その後、陸上部に入り、長距離ランナーとして活躍。夏の甲子園から4か月後の12月に全国高校駅伝に出場し、4区9位と好走。「4年生」だった翌63年大会も出場し、エース区間の1区で34位と健闘した。64年に青学大経済学部入学。箱根駅伝に2度出場し、1年5区14位、2年6区14位。68年に青学大を卒業後、三協アルミニウム工業(現・三協立山)に入社。全国を“駆け回る”ビジネスマンとして活躍。2001年に胃がんのため、亡くなった。享年56歳。

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