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一ノ関の銅メダルあっての三宅の金1号…64年東京五輪

2018年8月21日12時0分  スポーツ報知
  • 64年大会の日本選手金メダル第1号となった三宅

 64年大会の金メダル第1号は第3日の10月12日、重量挙げフェザー級の三宅義信(78)だった。今年の6月10日、文化功労者受章を祝う会の席で、三宅は「私が金メダルを取れたのは、ここにいらっしゃる一ノ関さんが前日に銅メダルを取ってくれたからです」とあいさつした。

 前の席にいた一ノ関史郎(74)は「三宅さんがああいうふうに思われているとは思わなかった」と驚きながら、三宅を見上げた。法大の先輩・後輩。練習で厳しい指導は受けたが、東京五輪後、そういう言葉をかけられたことはなかったからだ。

 三宅は日本選手団の中で、最も金メダルに近い位置にいた。東京五輪組織委員会は、前回60年ローマ大会までは後半に行われていた重量挙げを何とかして前半に変更し、日本中を一気に盛り上げようとしていた。国際オリンピック委員会にかけ合い、プログラムの変更を勝ち取った。

 ローマで金メダルを目指しながら銀だった三宅は、その時の反省点を一つずつつぶし、万全の状態だった。一点だけ違うのは、地元・東京での開催ということだった。自分が出場する前日、渋谷公会堂は2000人で満員。バンタム級の一ノ関は金を狙ったが銅メダル。「体調は良かったが、私は精神面で弱いところがあった。足がガタガタ震えました」。9回の試技で成功は5回と、不本意な試技に終わった。

 だが、三宅はこのメダルで気持ちが楽になった。メダルなしで迎える本番は、いくら金大本命でも、思わぬプレッシャーがかかる恐れがあったからだ。「重量挙げは個人競技だけど、一緒に練習していて、チームプレーと同じなんです。最初こけると責任が次の人にかかってくる。そういう意味で、私は心に余裕が持てたんです。だから、違う競技でも選手団はチームなんです」。その言葉の通り、勢いのついた日本は史上最多の16個の金メダルを獲得した。

(敬称略、久浦 真一)

 ◆三宅 義信(みやけ・よしのぶ)1939年11月24日、宮城県村田町生まれ。78歳。大河原商高―法大を経て、自衛隊。五輪は60年ローマ銀、64年東京、68年メキシコ市を連覇。72年ミュンヘン4位。メキシコ市大会では、弟の義行も銅。2012年ロンドン銀の三宅宏実は、めい。

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