【篠原信一の柔道一本】斉藤仁、鈴木桂治らいぶし銀柔道家の宝庫、国士舘大の神髄は…寝技ぐりんぐりん シリーズ「柔道名門大学巡り その2」 ~国士舘大編~

スポーツ報知
国士舘大柔道の礎を築いた故・斉藤仁さんとの思い出の一枚(1998年のバンコク・アジア大会の試合で)

 国士舘大学柔道部の前身は、1929(昭和4)年創設の国士舘専門学校(国漢・柔道科)にあります! 五輪の最重量級では88年ソウル連覇の斉藤仁(95キロ超級)、04年アテネの鈴木桂治(100キロ超級)、08年北京の石井慧、66キロ級で08年北京2連覇の内柴正人と多くの金メダリストを輩出しています。

【柔道の特色】

 言うまでもなく寝技です。15年1月に亡くなられた斉藤仁先生が大学に入学されるまでは個性豊かで、いぶし銀の選手を多く輩出していましたが、ただ、団体戦としては超一流の大学ではありませんでした。斉藤先生の入学後は、寝技を駆使した、しぶとい戦い方で全国制覇を成し遂げました。これを機に「寝技の国士舘」と謳われ、寝技の名選手を輩出しています。

【稽古】

 私が知っている限りでは、特色でも述べたようにやはり寝技に特化しています。立技の稽古もしっかりとしますが、寝技は反復練習や乱取が長い。今は鈴木桂治監督(男子日本代表・重量級担当コーチ)が立ち技、寝技をバランスよく組み込んだ本当に質の高い稽古を実践しています。私が現役の時は、全日本で重量級の担当コーチだった斉藤先生がいる国士舘大によく合宿に行きました。

【寝技嫌いの篠原が!?】

 国士舘大では毎回寝技でグリングリンにされてました(涙) もともと私は寝技が得意ではなかったし、試合で寝技の攻防をして抑えきれなかった時の疲れ具合と言ったら! 「ハァ~足が抜けない! 逃げられた!」と、脱力感が半端なかったぁ(汗) 寝技をするなら立技で投げた方が早いやん! と思ってました(笑)

 篠原の心の声「俺って投げ技がキレるから寝技はいらんねん!だいたい投げたら一本やねん!」

 畳にへばりついている時間も長いし…。斉藤先生も仁王立ちして手抜きチェックしてるしぃ…。

 篠原の心の声「あぁ…。サザン(オールスターズ)の歌が頭にこだまする…。『いま何時!? まぁだ、は~や~い~♪』。勝手にシンドいバッドやで(涙)」

 短期集中型の私でしたから本当にきつかった。で、この後に立ち技の乱取もありましたわ。

 【偉大な大先輩】

 95年アジア選手権(ニューデリー)でしたね。100キロ超級と無差別級に出場して、斉藤先生が注文をつけたんです。初日の100キロ超級は『全て違う投げ技で勝ってこい』。で、当然、優勝しました(ドヤ顔)。

 最終日の無差別級の試合前。

 斉藤先生「全て寝技で勝ってこい! 国士舘大であれだけ寝技の稽古をしたんだから。絶対に寝技で勝ってこい」

 決勝は寝技で勝ちました(汗)。

 斎藤先生って本当にいい先生でしたねぇ。無理なこともよく言われましたけど(笑)

 ここでクイズ! 

「オリンピックのプレッシャーなんて、こんなん言ったら失礼ですけど、斉藤先生のプレッシャーに比べたら、もう、屁の突っ張りにもなりません」。ある柔道家のオリンピックで金メダルを獲得した直後の第一声です。だれでしょう?

 はい。正解は石井慧です。

 誰かに「理不尽、イソジン、斉藤ジン」って、あだ名をつけられたこともありました。けど、斉藤先生は嬉しそうに怒ってましたね。懐かしいです! 先生(涙)。無茶苦茶で失礼なあだ名でしたけど、きついことを求められてもその通りにやれば、肝心な時には(特に試合では)効きましたね。斉藤先生は本当に偉大な方でした。

 私が初めて国士舘で練習した時は、和やかでユニークな選手もいました。元々が硬派な大学で、昔のバンカラな雰囲気が漂うキャンパスだったそうです。私も皆の手前、強気で偉そうな態度で寝技の稽古をしていましたが…。

 篠原の心の声「もーええて! 分かったから! 君達が寝技が強いのは! だから痛いことしないで~(泣)」

 【桂治監督を直撃取材】

 今の国士舘大学柔道部の指導をちょっと鈴木監督に聞いてみよ~! (国士舘大道場のドアを)トン、トン、トン。ガラリ。

 篠原「ども! 毎度ぉ~」

 鈴木監督「新聞なら間に合ってますよ!」

 篠原の「………。いや、違います」

 鈴木監督「どのようなご用件で?」

 篠原「かくかくしかじかなわけで…」

 鈴木監督「ふむふむ」

 篠原「けいじ…、アッ、鈴木監督! 今の国士舘の特色は?」

 鈴木監督「毎日、厳しい稽古をする中で芽生えるチームワークを心がけています。また部員全員が妥協することなくチーム一丸となって日本一という目標に向かっていますね。一人一人が自分の役割を理解し行動をする! ということです」

 篠原の心の声「お! 取材っぽくなってきたでぇ」

 篠原「では、技術面で重点を置いてるところは?」

 鈴木監督「細かい組手です。寝技ですね」

 篠原の心の声「まぁこれは昔からやん! 伝統やな」

 篠原「けいじ! いや、監督! 監督の現役時代の稽古の思い出は? 

 篠原の心の声「鈴木監督って言いにくいな(汗)。ケイジでいいかなぁ(汗)」

 鈴木監督「篠原先輩はよく国士舘の学生をボコボコにしてましたけど! 僕は先輩を体落としで投げてましたが! 道場の投げた場所まで覚えてますから(ドヤ顔)」

 篠原「そうやったかな~(笑) ケイジは強かったからな~(作り笑い)」

 篠原の心の声「ぐむむ…。投げたって…! たまたまでしょ! 僕がよそ見してた時でしょ! それか俺がサービスで投げられたった時かな……(汗汗)」

 今の国士舘大は鈴木監督のもと、現在も稽古は真剣で迫力があります。練習後は普通の大学生で明るい雰囲気でいっぱいでした。厳しい中にも愛がある。そんな国士舘大学柔道でした~。

 ◆篠原信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。45歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。

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