【篠原信一の柔道一本】4年に一度のアジアの五輪…「アジア競技大会」をキャッチアップ! 五輪王者・大野将平のやる気満々に「OH! NO!」と、のけぞりました

スポーツ報知
1998年12月のバンコク・アジア大会で負傷した篠原は斉藤コーチ(左)に気合を注入してもらい優勝を果たした(篠原氏提供)

 6月13日に東京・講道館で行われました全日本合宿の取材に行ってきました! 世界選手権に注目が集まりますが、今年は4年に1度の「アジア競技大会」、通称「アジア大会」の選手にスポットを当ててみました! 7日の七夕の夜空にきらめく、柔道界のキラ星に注目してください!

 【アジア競技大会とは】

 アジアオリンピック評議会(OCA)が主催するため、「アジア版オリンピック」と言われている国際総合大会ですね。夏と冬の大会があり、五輪と同じく4年に1度、開催されます。五輪中間年に行われるため、アジア各国が精鋭をそろえて国の威信をかけて競い合います。

 五輪競技以外では「囲碁」や「将棋」、「セパタクロー」なども実施され多種多様な競技が盛りだくさんです! 単一競技の世界選手権と違い、国際総合大会ともなりますので、日本オリンピック委員会(JOC)にとっては五輪のテストマッチのような意味合いもあり、五輪本番での選手のサポート体制を事前に演習できる大事な大会ともなります。今年はインドネシアのジャカルタで8月18日から9月2日まで開催され、柔道競技は8月29日から9月1日まで実施されます。

 もう少し詳しく説明すると、柔道には様々な国際大会があります。まずはオリンピック競技大会、世界柔道選手権大会、アジア競技大会、アジア柔道選手権大会、ワールドマスターズ、GS(グランドスラム)、GP(グランプリ)、コンチネンタルオープン等です。これ以外にもジュニア、カデットの試合も多数あります。

 【代表選手は1番手なのか2番手なのかの件】

 今と違って私、篠原信一がバリバリの隆盛を誇った時代は、五輪は4年に1回、世界選手権は2年に1回、アジア大会は4年に1回でした。アジア大会は五輪や世界選手権に重ならない年に開催されてきたので、日本の1番手がアジア大会に選ばれていました。かつてアジア大会イヤーは、合宿などでは、代表選手が注目されていましたが、今は世界選手権が五輪イヤーを除く年に開催されるため、アジア大会に選ばれるのは実質的に2番手の選手に。なので、注目があまり集まらないのが残念だな~と!

 ですから、今のうちから知っておいた方が、お・と・く! なんですよ! 奥さん! いや、皆さん!

 過去にも2番手と言われていた選手が大会で調子を上げて一気に五輪代表になったケースは多々あります。そのぐらい日本の層は厚いのです。以下が代表ですね。

 ▼アジア大会代表

 60キロ級=志々目徹(了徳寺学園職)

 66キロ級=丸山城志郎(ミキハウス)

 73キロ級=大野将平(旭化成)

 81キロ級=佐々木健志(筑波大4年)

 90キロ級=ベイカー茉秋(日本中央競馬会)

100キロ級=飯田健太郎(国士館大2年)

 100キロ超級=王子谷剛志(旭化成)

 【篠原とアジア大会】

 私もアジア大会(バンコク)に出場した時のことを思いだすわ~。1998年12月でしたね。夏のイメージがありますが、日本は冬でした。準決勝で韓国の選手と対戦して右膝を痛めて。何とか勝ちましたが…。足を着くのも痛くて右足を引きずりながら(冷汗&半泣)篠原の弱気な心の声「めっちゃ痛い…。アカン、早く救急車を呼んで(泣泣)」…試合が終わった後、畳から降りて、段差のあるところに降りようとした時に!

 当時のコーチだった斉藤仁先生(故人)が何と、おぶってくれたんです。

 斉藤先生「信一、大丈夫か!? 俺の背中に乗れ」

 篠原「私は大丈夫です!」

と言ったのですが、斉藤先生はたくましい背中を向けてくれて、「いいから早く乗れ」と。おんぶをして控室まで運んでくれたんです(うれし涙)。

 篠原の心の声「なんて優しいんや…(ジ~ン)」

 この時はテレビカメラも真横に来て斉藤先生がおんぶをして控室に入るまでを撮ってくれていました。んが、控室に入った瞬間!!

 斉藤先生「あっ重いっ! 早く降りろ!」

 そう言ってボクを振り落としたことを…(カメラ回っている時だけか~い!)

 で、言いました。

 篠原「先生、マジで無理です。棄権します…」

 斉藤先生「アホな事、言うな! 痛いのなら痛み止めの注射を打って試合に出ろ。いいか、信一! 痛いのかゆいの言っている場合じゃない! 痛いのは我慢できるんや!」

 篠原の心の叫び「オレはかゆいのは我慢できますねん! 痛いのは勘弁して~(泣)」

 ドクターから痛み止めの注射をしてもらい、トレーナーにテーピングをしてもらうと…。

 斉藤先生「どうだ?」

 篠原「イヤ無理です…」

 斉藤先生「お前はオリンピックの時にも同じように無理です、棄権するというのか!?」

 篠原「言いませんけど! オリンピックじゃないでしょ(激痛の汗)」

 斉藤先生「オリンピックだと思って試合しろ!」

 篠原「……(涙&汗)」

 篠原の心の叫び「痛いの嫌やねん! 苦しいこと嫌いやねん! 無理するの嫌いやねん!」

 はぁ~、アカン…。斉藤先生、何を言っても聞いてない(涙)

 決勝は内また透かしで1本勝ちでしたけどね…。斉藤先生の強い気持ちで優勝できた~と思ってます。

 さて、本題にカムバック。

 今回の第18回アジア大会の柔道の代表選手は、16年リオ五輪の金メダリスト、大野とベイカーの2人も選ばれております~!

 今夏のバクー世界選手権大会(9月20~27日)の代表選考会で敗れてのアジア大会代表になった訳でありますが。では、そのアジア大会について、また2020東京五輪に向けて彼らは、どういう位置にいるのか? 講道館での全日本合宿にお邪魔したので、さっそく、男子代表の井上康生監督に聞いてみよーかと!

 (井上監督の肩を)トン、トン、トン。

 井上監督「新聞なら間に合ってますよ!」

 篠原「……………。いや、だから違いますって…」

 井上監督「何か…」

 篠原「かくかくしかじかなわけで…」

 井上監督「ふむふむ。大野、ベイカーのリオ金メダリストコンビは2020年に向けて期待される2人ですね。双方まだ100%の仕上がりではありませんが、アジア大会に向けて調子を上げていますよ。目線は2020を見据えていますし。初代表の丸山、佐々木、飯田にも期待してますね。3選手ともに技を持っており柔道の技を体現できます。2020年に向けても大きい期待を持てる選手達ですよ。ベテランの志々目、王子谷は勝負の年になりますかね。まだまだ力のある2人ですが。しかし、若手などに同階級にライバルが多くいるのも事実。存在感を示す戦いを期待しますね」

 篠原「強豪国は?」

 井上監督「個人、団体ともにライバル国は、韓国、モンゴル、カザフスタン等が挙げられますね」

 篠原「ニンジンというか、選手のモチベーションを上げるものはありますかね? アジア優勝者は講道館杯免除、東京GSも決定となってますが? この辺は?」

 井上監督「1年間の試合数や4年のスパーンを考えた上では、個人差はありますが、効率的にポイントを稼ぎ、効率的に課題を見つけて克服していく方針でやっています。また、その他の選手達にも多くのチャンスを与える目的ともしていますよ」

 篠原「監督! ありがとうございます!」

 【大野、さすがだわ】

 さて、次は選手にお話を…。

 篠原「大野選手! オリンピックチャンピオンですが、今回の世界代表は逃す形でアジア代表になりましたが。モチベーション的にはどうなんでしょう?」

 大野選手「2017年を大学院の授業と修士論文作成で柔道は休んでいたので、世界代表を逃したというよりアジア代表を勝ち取ったという感じです。まずは強い大野将平の柔道の感覚を取り戻すこと、他の強化選手とともに緊張感を持った合宿で稽古を積んでいくことが一番の目標で課題です。そういったことで自然とモチベーションは上がっています」

 篠原の心の声「さすが! チャンピオン! いちいちカッコいいぜ! 大野、ええって! 正直に言えよ! お前はそんな爽やかな奴ちゃうやろ!」

 篠原「ごほん、ごほん。アジア大会に向けての課題は?」

 大野選手「課題は、篠原先生みたいな強引に根こそぎ投げる圧倒的な強さを身につけたいです」

 篠原の心の声「おい、おい、おいぃ~!(アニマル浜口風) 確かに強引な時もあるけど、オレって何気にテクニシャンなんですけど…(汗)」

 大野選手「今回の東京キャンプで改めて感じました! 海外の選手から警戒されて研究されている、と。そんな中でも勝てるように組み手や返し技のバリエーションなど緻密な部分も残り2か月で意識的に稽古していきたいです。課題は一言で我慢です!」

 篠原の心の声「かぁ~、チャンピオンは違うな~。合宿をキャンプって! ナウいぜ!(古っ)」

 篠原の心の叫び「オレは研究されても大丈夫やったわ! オレって天才だったのか!? それはないな~努力の天才ではあったけど!! 自分でも天才と言っていた、五輪3連覇の野村忠宏も試合前はよう研究してたな!」

 【後輩くんの声】

 ボクの母校天理大の後輩、66キロ級代表の丸山選手に話を聞いてみよーっと! 大野だけに話を聞いて帰ったら城志郎がすねても困るしなぁ(汗)

 篠原「アジアの意気込みは?」

 丸山選手「(優勝した)今年のGPフフホトで、内容のいい試合ができたので少し自分の柔道に自信がつきましたが、それプラス、もっと自分の柔道に磨きをかけたいと思います」

 篠原の心の声「クールに話すよな~ まぁまぁ男前やし! なんか腹立つな~(笑)」

 篠原「アジア大会に向けての課題は?」

 丸山選手「力強さ、延長戦に入っての我慢強さが足らないので日頃の稽古で最後まで詰めた稽古をしていきたいです」

 篠原の心の声「だから真面目か! 面白い話はないのかね…(汗)」

 丸山選手「あとは現役の時の篠原先生の様な気迫あふれる柔道をしていきたいと思います」

 篠原「城志郎くん! 君はさらに強くなるよ! ご飯食べに行こ~! 焼肉でいいかい?」

 他の階級のアジア大会代表選手もホントに世界代表になってもおかしくない実力を持っている選手ばかり。ぜひとも大暴れして、世界選手権代表を脅かしてもらいたいものです!

 ◆篠原 信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。45歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。

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