【篠原信一の柔道一本】アジア大会に燃える大野将平の稽古は…チョ~気持ちいい!
ジャカルタ・アジア大会が18日に開幕しました!
4年に一度のアジアの祭典は2020年東京五輪の代表選考にもかかわる大事な大会です。男子柔道7階級の日本勢には、ぜひとも大暴れして欲しいですね!
【アジア大会実施日】
▼8月29日実施
◎60キロ級 志々目 徹(了徳寺学園職員)
◎66キロ級 丸山城志郎(ミキハウス)
▼8月30日実施
◎73キロ級 大野将平(旭化成)
◎81キロ級 佐々木 健志(筑波大4年)
▼8月31日実施
◎90キロ級 ベイカー茉秋(日本中央競馬会)
◎100キロ級 飯田健太郎(国士館大2年)
◎100キロ超級 王子谷剛志(旭化成)
【強化合宿リポート】
今月上旬に宮崎県延岡市で行われた「第4回全日本柔道男子合宿」に取材に行って参りました。前回は現役時代の私の甘酸っぱい思い出を語らせていただきましたが、今回はアジア大会、そして9月下旬のバクー世界選手権に向けた選手のお話をしよーかと!
アジア大会代表選手は、追い込んだ稽古をしておりました。いや~、気合の入った稽古をしていましたね~!! いいね! いいね! そういう稽古しないと!
アジア代表選手達の熱い思いがビンビン感じるではあ~りませんか!
今年も世界選手権が開催されるため、アジア大会の代表は現時点で日本の2、3番手が選ばれています。アジアでNO1、ここで優勝という結果を出すことが、2020年につながるという思いが伝わってくる稽古でした! 見ていてハンパないって! と思うくらいチョ~気持ちい~い稽古でしたね!
篠原の心の声「オリンピック、世界選手権、アジア大会は代表選手だけじゃなく2~3番手につけている選手の勢いが重要なんです!
下から追い上げられると1番手の選手も必死になるんですよ!」
【グンバツな男は】
言うまでもなくオリンピック金メダリスト大野将平選手は群を抜いた稽古をしていました! 一本取りの稽古をしていて、追い込んでからの~、内股! キレが良すぎて1回転半で回りすぎて。
金丸コーチ「今の『技有』だから! ちゃんと極めないと!」
大野「えっ!! マジっすか…! もおっ!」
耳元で天使と悪魔がささやくといいますが、私の場合は「ホワイト篠原」と「ブラック篠原」が良く出てきます。はい。
ホワイト篠原「いいぞ~金丸コーチ! もっと追い込んでやれぇ! 極めない方が悪い~!」
ブラック篠原「オレなら投げてるやん! 1本やん! とか言って絶対にふてくされてるわ! やっぱ、違うな。真のチャンピオンは!(ドヤ顔)」
【実況】
大野選手が起き上がり、相手と組み合って前に前にと圧力をかけ、相手が押し返したところを支釣込足からの背負投~!
金丸コーチ「『技有』」
大野「今のも技有ですか?」
金丸コーチ「今のも回りすぎ『技有』だから!」
ホワイト篠原「いいぞ! いいぞ! 金丸! また回りすぎてました! いよっ、鬼コーチ!」
篠原の心の声「大野君!柔道は、『崩し・作り・掛け』だけではないのだよ! 『崩し・作り・掛け・極め』が大切なんだよ!(大ドヤ顔)」
ブラック篠原「今度こそ文句言うやろ! 1本とちゃうんかい! 1本とちゃうんかい! 1本とちゃうんかい! えっ~言わんのかい!! 乳首ドリルせんのか~い(笑)!」
組み合ってから、支釣込から大外刈! 相手が足を引いて受けた後すぐに
!内股~!
金丸コーチ「『1本』」
ホワイト篠原「単発の技だけではなく、連絡技もすばらしい! 畳の上のアーティストやな」
ブラック篠原「オレの次にやけど(ニヤ)」
また100キロ級の飯田選手は2020年の期待の星(キラ~ン)。切れ味抜群の内股で稽古相手を投げまくり!
軽量級の志々目、丸山両選手も世界選手権代表に負けず劣らずの気合の入った稽古をしておりました!
井上康生監督も言うおるではありませんか!
井上監督「篠原先輩。大野はいい稽古をしていますよ。世界代表だけではなく、アジア代表も調子が上がってきてますよ!」
篠原「ふむふむ」
【TBS様、お願いします!】
井上監督「と~ぜん、篠原先輩はアジア大会には来られるのでしょ?」
篠原「ぐむむ……」
井上監督「テレビの解説とかで来るでしょっ! アジア大会ですよ! いつくるの? いまでしょ!?」
ホワイト篠原「ここで笑点だったら『お~い、山田く~ん。井上監督に座布団3枚!』だろうな…」
ブラック篠原「(大会放映局の)TBSさ~ん! 篠原さんに座布団1枚持ってきて、呼んであげてくださ~い!」
最近はオレも柔道の勉強してるし! 合宿も毎回、行ってるし! 昔は経験と勢いだけでしか話さなかったけどネ!
篠原「監督、アジア大会では柔道が非常に期待されてますからね!」
井上監督「ぜひ来てください!」
篠原の弱気な心「だから、TBSさんが……(号泣)」
◆篠原信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。45歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。