フェンシング女子・宮脇花綸、五輪初メダルへ「楽しみ」敵の持ち味つぶす21歳慶大生 

スポーツ報知
フェンシングの魅力を語った宮脇(カメラ・森田 俊弥)

 9月のジャカルタ・アジア大会で、フェンシング女子フルーレ団体は初優勝を果たして五輪初の表彰台への第一歩をしるした。主軸として貢献した宮脇花綸(かりん、21)=慶大=は「次は世界を目指すしかない」と力を込める。父は日本協会の宮脇信介専務理事(57)で、ミステリー好きでも知られる美女。競技の魅力や、団体と個人での活躍を目指す20年東京五輪への達成度までを語り尽くした。(取材・構成=細野 友司)

 アジア大会で獲得した75個の金メダルには、東京五輪へ確実に視界を広げたものがある。宮脇らの初Vも、2年後につながる勝利の味だった。

 「みんなでつないだ、という思いがすごく強いですね。まずアジアを取って、次は世界を目指すしかないという気持ちに変わりましたし、世界に対する意識も少しずつ縮まってきているのを肌で感じています」

 欧米に強豪国がそろい、海外が日本を見る目も確実に変わっている。団体5位に入った世界選手権(7月)準々決勝を思い出し、ふっと顔がほころんだ。

 「(ロンドン五輪女王の)イタリアが、控え選手を入れないフルメンバーで出てきたんです。初めて全力で戦ってくれた。日本に脅威を感じているのかなと思いました。イタリアに負けたけど5位にはなれた。まず世界でメダルを取ること、ベスト4を目標に次のシーズンは頑張っていきます」

 5歳の頃、姉の影響で競技に出会った。家から車で5分ほどのフェンシングスクールで剣を握ると、たちまちのめり込んだ。懐かしい記憶をたぐり寄せると、屈託ない笑顔がのぞく。

 「すぐに楽しいと思いましたね。幼稚園や小学校の頃は結構男の子っぽくて、外で男の子に交じって遊ぶのが好きなタイプ。年上のお兄さんに勝てるのが、すごく楽しかった。中学校でも、同い年の強い男の子に勝てていました」

 体格で勝る男子を次々となぎ倒せた秘密は、優れた防御力にあった。相手の攻撃力を消し、持ち味を出させない。現在は世界と渡り合えるまでになったプレースタイルの原点を、豊富な練習で身につけていった。

 「単純に練習量が多かったのと、ガッツがあるタイプだった。練習は、ほぼ毎日やっていました。週2回のスクールに加え、自宅でスクールの先輩に個人レッスンを頼んでいました。中学3年生からJISS(国立スポーツ科学センター)へ行くようになりました」

 自宅でフェンシングをやるのは簡単ではない。個人練習ができたのは、両親が自宅に長さ約9メートルの練習場をつくってくれたからだ。

 「1階の客間の前を、フェンシングをやるために板張りにしてくれました。父もその頃フェンシングを始めて、(中学の頃は)勝っていました(笑い)。父は多趣味で、ゴルフ、ピアノ、ワイン、それからフェンシングという感じですね」

 趣味で始めた父・信介さんものめり込み、50歳以上の日本代表になるほどの腕前に。東大経済学部出身で長く金融機関に勤務していた手腕を買われ、14年に日本協会常務理事に就任。17年からは太田雄貴会長の下で、専務理事として協会運営に携わっている。まさに親子で、どっぷりとハマった競技の魅力を満喫するには、見るべきポイントがあるという。

 「まず速さやダイナミックさを感じてほしいです。目が慣れてきたら、どこを突いたのかを見てもらえると面白い。相手の剣をかわして突いたり、面積の小さい肩の後ろを、剣をしならせて突いたり。YouTubeではスロー再生もあるので、こんなに複雑なことをやっているんだと楽しんでいただけると思う」

 代表選手として世界と向き合う今、完全オフは日曜日だけ。JISSで週6日間、競技と向き合う。日常生活でついつい出てしまう“フェンサーあるある”を、照れ笑いしながら明かした。

 「攻撃の動作が足を出す動作なので、一歩先のエレベーターのボタンも攻撃動作で押したりとか…、無意識に出ますね。前足(宮脇は右)の太ももが一番太くなるので、ジーンズを選ぶときはみんな太ももで合わせるんです。太ももが入れば、あとは全部OKなので」

 競技漬けの日々にも、息抜きは必要。謎の世界に没頭し、リフレッシュする。

 「小学生の時、綾辻行人さんの『十角館の殺人』が面白くてミステリーを読み始めました。ただ、どうしても日本のものばかりだと、さらさら読めてしまう。先が読みやすくなってしまったというか…。最近は海外作品を読んでいます。現実と空想が入り交じったSFものが好き。休日には謎解きにもよく行きますね。リアル脱出ゲームとか」

 団体と個人での躍進を期す20年東京五輪。期待は力か、プレッシャーか。今は楽しみの方が大きい。

 「やってきたことを見せたい場所。練習が進んでいるので楽しみではあります。1か月が(充実していて)すごく長く感じるので、不安はあまりないです」

 五輪へ向けた現時点での達成度をどう感じているか。少し首をかしげながらじっくり考え、口にした答えは―。

 「70点くらいですね。最近は苦手な場面や選手を感じる場面が多くて、そういう相手も倒せないと一番上にはいけない。その対策の余地を考えると70かなと。選手のタイプには2つあって、自分の得意なことで押し切って勝つ人と、相手の得意なことを潰して勝つ人がいると思うけど、私は後者だと思っている。方向性は確立できているので、あとはどれだけブラッシュアップできるかですね」

 女子フルーレ団体は16年リオ大会で行われず、今回は12年ロンドン大会以来の実施となる。出場枠は、19年4月3日から20年4月4日までの成績に基づいたチーム世界ランキングで決定。1位から4位は枠を獲得。5~16位のうちアフリカ、米、アジアオセアニア、欧州の各4大陸別の最上位も出場権を得る。最新ランクで日本は7位。女子6種目を通じ合計8人の開催国枠があるため、同枠を使用して出場する可能性もある。

 有力チームは、ロンドン五輪覇者で今夏の世界選手権準Vのイタリア、世界選手権女王の米国、同銅のフランスなど欧米勢。アジアではロンドン銅の韓国に力がある。日本はアジア大会代表の宮脇、東晟良(あずま・せら、19)=日体大=、菊池小巻(21)=専大=、辻すみれ(18)=朝日大=ら20歳前後の層が厚く“黄金世代”で初の表彰台を目指す。

 ◆フェンシング 第1回の1896年アテネ五輪から継続されている4競技のうちの一つ(他は陸上、体操、水泳)。日本は1952年ヘルシンキ大会の男子フルーレ個人に牧真一が出場(予選敗退)したのが最初で、64年東京五輪では男子フルーレ団体が4位入賞。08年北京大会で太田雄貴(現・日本協会会長)がフルーレ個人で初の銀メダル。12年ロンドン大会でも太田らの男子フルーレ団体が銀メダルを獲得した。女子は全種目を通じて五輪でのメダルがなく、フルーレ団体は12年ロンドン大会の7位入賞が最高。

 ◆宮脇 花綸(みやわき・かりん)1997年2月4日、東京・世田谷区生まれ。21歳。5歳で競技を始め、東洋英和中を経て慶応女高進学。2014年南京ユース五輪銀メダル。15年に慶大経済学部に進学し、都市経済学などを学んだ。名前の「花」は立春に生まれたことから。「綸」は姉・真綸さんと同字。161センチ、54キロ。家族は両親と姉。

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