【箱根への道】中大、雑草魂で準部員からはい上がった中山顕で復権

スポーツ報知
タオルとフラッグを広げ、箱根での健闘を誓った中大・中山(左)と関口(カメラ・橋口 真)

◆中大 前回15位(2年連続92回目)予選会8位、出雲・全日本不出場

 名門復活に向け、名乗りを上げたのは中大“Wエース”のひとり、中山顕(4年)だ。11月の上尾シティハーフマラソンで日本人トップの2位に入り、チーム内のライバル・堀尾謙介(4年)を上回る中大記録を樹立。ハーフの日本記録保持者の設楽悠太(26)=ホンダ=にも先着した。「準部員」の立場からはい上がってきた“雑草魂”の持ち主が、箱根路で古豪を7年ぶりのシード権獲得へと導く。

 10月の箱根予選会で15キロ以降の走りに課題が浮上した中山だが、11月の上尾ハーフで修正。終盤もペースを維持し、1時間1分32秒で日本人トップの2位となり、中大記録を25秒更新した。もうひとりのエース・堀尾が予選会で出した同記録を短縮。さらに日本記録を持つ設楽にも先着し、「箱根でもビビらず走れるって自信になりました」。実業団のホンダに入社内定。来年はチームの先輩となる設楽から人づてに「中山はぐいぐい来て強かった」とほめられ、笑みがこぼれた。

 中学時代はサッカー部。高校入学後、部の見学に行くと、強豪クラブの出身者が多く「ここではレギュラーは取れない」と入部を断念した。それより、サッカー場の周りのトラックを走る陸上部に目が行き「才能より努力(次第の部分)が大きい」と聞いた長距離を始めた。以来、前だけを見て走り続けてきた。

 藤原正和駅伝監督(37)が「雑草からはい上がってきた」と評価する中山。大学入学時は陸上部の「準部員」。5000メートルで当時の自己ベストを上回る15分を切らないと部員として伝統の「C」のロゴが入ったジャージーを着ることすら許されず、さらに選手寮に入るには14分40秒切りが条件。一人暮らしをしながら、まずは部員を目指した。毎日、自宅と練習場の往復2キロを走って通い、練習では同じ指定校推薦で入学しながら、2年から箱根を走る2学年上の鈴木修平を追って走った。「強い選手に食らいつくことから始めた」。タイムを縮め、1年時の11月に部員となり、2年時の8月に入寮を果たした。

 反骨精神で力を身に付け、昨年10月には5000メートルで13分53秒07を記録。入学時から1分以上、縮めた。4月には1万メートルでも自己新。今では、「堀尾に負けるのは、他の人より2倍は悔しい」というライバルと並び“Wエース”と呼ばれるまでに成長した。

 前回の箱根駅伝は、直前に左足の中足骨を疲労骨折し、3区で区間6位。「リベンジしたい」と燃える。「2区を走りたい気持ちはあるけど、チームがシードを取るために、任された区間で区間賞を取ることが一番」。エースにふさわしい宣言を力強く口にした。(宮下 京香)

 ◆中山 顕(なかやま・けん)1997年2月24日、埼玉・白岡市生まれ。21歳。小1から中3まではサッカー少年。伊奈学園総合高1年時に陸上競技を始め、15年、中大法学部に入学。昨年4月の平成国際大記録会5000メートルでは13分53秒07で日本人2位の全体5位で自己ベスト。家族は両親と兄2人。171センチ、53キロ。

 ◆中央大 1920年創部。箱根駅伝は20、24、2017年の3回を除き、すべて出場。優勝(14回)、連続優勝(6回)、出場(92回)、連続出場(87回)はすべて最多で、記録の「4冠」。出雲駅伝と全日本大学駅伝は2位が最高(いずれも3回)。タスキの色は赤。長距離部員は選手36人、学生スタッフ9人。主な陸上部OBは99年セビリア世界陸上男子マラソン銅メダルの佐藤信之氏(現・亜大監督)、上野裕一郎(現・立大監督)ら。

 ◆戦力分析 前回、総合15位経験者が9人残る。10月の箱根予選会は8位通過も、底上げは着実に進み「総合8位以内でのシード権獲得」がチームの合言葉だ。「故障者もなく、今年は順調にメンバーを選べました」と就任3年目の藤原監督は胸を張る。花の2区は、今回も走ると関東学生連合時代を含め3年連続となる堀尾が濃厚だ。「1時間7分31秒の私の中大記録(03年)を塗り替えてほしい」と指揮官は期待を寄せる。舟津、中山も往路の予定で5区は前回区間10位の畝が再出走。藤原監督は「往路3~5番以内が目標。復路は元気な2年生で」と池田、三須、矢野らの起用を示唆した。関口主将は「シード圏内でゴールテープを切りたい」と10区での初出場に意欲。平成最後の箱根路が名門復活への分岐点となる。

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