【箱根駅伝】東海大が悲願の初優勝、あわや“空中分解”の危機を乗り越えた

スポーツ報知
初の総合優勝を果たし、ゴールテープを切る東海大・郡司陽大

◆報知新聞社後援 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)復路(3日、芦ノ湖―東京・読売新聞東京本社前、5区間=109.6キロ)

 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走復路は3日、神奈川・箱根町スタート、東京・千代田区大手町の読売新聞社前ゴールの5区間109・6キロで行われ、往路2位の東海大が往路優勝の東洋大を8区で逆転し、10時間52分09秒の大会新記録で悲願の初優勝を飾った。スピードを持ち味とする東海大は、両角速(もろずみ・はやし)監督(52)の指導のもと、この夏、泥臭い走り込みの練習に方向転換。一時、故障者が続出し、チーム内には不満が噴出したが「世界を目指すための第一歩として箱根制覇」でチーム内は団結し“平成最後の箱根駅伝”で栄冠にたどりついた。

 1年前「箱根0区」で大ブレーキを喫した小松陽平(3年)が初優勝の立役者となった。8区で、首位の東洋大と4秒差の2位でタスキを受けた小松はスタート直後に東洋大の鈴木宗孝(1年)に追いつくと我慢比べの並走。14・6キロで満を持してスパートし、一気に鈴木を突き放した。1997年に山梨学院大の古田哲弘がつくった10区間で最古の区間記録(1時間4分5秒)を15秒更新する1時間3分50秒で走破し、首位に立った。

 前回大会、小松は1万メートル28分35秒63の学生トップクラスのタイムを持ちながらスタミナ不足という理由で16人の登録メンバーから外れた。一昨年12月30日、登録メンバー外の選手が参加する2万メートルの学内記録会。400メートル50周と気が遠くなるようなレースは「箱根駅伝0区」と呼ばれる。小松は序盤は快調に先頭集団を走ったが、後半に失速。20キロを走り切る力を持っていなかった。しかし、1年後、まるで見違えるような力強い走りで母校に初優勝をもたらした。

 「区間記録って97年で自分が生まれた年なので、そんな記録を破れるとは思っていませんでした。6区の中島怜利(3年)、7区の阪口竜平(3年)が東洋大との差を詰めてくれて最高の状態でつないでくれたので楽しんで走れました。これ以上ない仕事じゃないかと思うくらい、100点満点の走りができました」と小松は満面の笑みで話した。

 スピードを持ち味とする東海大はこの夏、新たな取り組みに挑んだ。両角監督が初めて「今回は箱根で優勝を狙う」と宣言して夏合宿がスタート。例年のスピード練習よりも泥臭く走り込んだ。湯沢舜(4年)、郡司陽大(3年)、西田壮志(2年)らスタミナ型の選手が成長を見せた反面、例年より故障者が増えた。チーム内には疑問と不満が沸き上がったが、両角監督は基本方針を変えなかった。その中でたくましく成長した選手の象徴が小松だった。

 前回優勝した6区間45・1キロの出雲駅伝(昨年10月8日)では3位と物足りない結果と内容だったが、8区間106・8キロと距離が伸びた全日本大学駅伝(昨年11月4日)では2位と光明を見いだした。

 箱根駅伝のコースがある神奈川・平塚市にキャンパスを置く東海大にとって箱根路初制覇は悲願だった。平塚―戸塚間を走る8区で首位に立ったことは運命的でもあった。

 15年全国高校駅伝「花の1区」上位6人中5人が東海大に入学。「黄金世代」と呼ばれる彼らも3年生となり、真価が問われるシーズンだった。エース格の関颯人は故障のため、外れたが、優勝メンバー10人のうち3年生が7人入り「黄金世代」の面目躍如となった。

 「目標はあくまで世界。駅伝は日本独特のもので、強くなるための手段。駅伝を終着点にしてしまうと、井の中の蛙で終わってしまう」と両角監督は言う。その一方で決して高い目標を“逃げ道”とせず「箱根優勝」を選手に訴えた。井の中(駅伝)で勝たなければ大海(世界)で勝負できるはずがないという真理を東海大は追求した。だから、箱根駅伝初優勝は決してゴールではない。“湘南の暴れん坊”の異名を持つ東海大ランナーたちは箱根の山より高い山を目指して走り続ける。

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