【箱根駅伝】国学院大が「寺田交差点」の“8位”超え 生観戦の寺田夏生「思い出の場所に行った」

スポーツ報知
2011年大会の国学院大の10区を務め、コースを間違えた寺田夏生

◆報知新聞社後援 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)復路(3日、芦ノ湖―東京・読売新聞東京本社前、5区間=109.6キロ)

 3日の復路は、国学院大が2011、12年の10位を超える過去最高の7位に入り、7年ぶり3度目のシード権を獲得した。11年大会でゴール直前にコースを間違えて有名になった寺田夏生(27)=現・JR東日本=が生観戦。「後輩たちは(シード権を取れず)悔しい思いをしてきた。僕も勝手に悔しい思いを重ねて見ていたけど、それを晴らしてくれた。元気をくれましたね」と母校の飛躍に目を細めていた。

 11年大会、10区はゴール直前まで4校がシード権3枠を争う展開だった。悲鳴交じりの大歓声が飛ぶデットヒート。しかし、当時1年の寺田がゴール手前約120メートルの交差点で、右折した中継車につられて曲がってしまった。

 コースを間違え、11位に後退。係員や警備員が必死に手を振って指摘し、気付いた時には約30メートルのロス。だが、そこから猛ダッシュで10位に滑り込んだ。寺田がゴール直後に「あぶねー!」と叫ぶ姿が反響を呼び、今でも駅伝ファンの間では「寺田交差点」として語り継がれている。

 あれから8年。寺田は思わぬ形で注目を受けた大学時代について「最初は力がないのに注目された」と振り返った。4年時は主将として花の2区を区間7位で走り、実業団入り。卒業しても、箱根駅伝は毎年母校の応援に行った。今でも「寺田交差点の人」として、写真撮影やサインを頼まれる。「あれ(ミス)があったので頑張れた。応援も増えてありがたい。今では間違えてよかったと思う」。“名前負け”しないように努力してレベルアップできた。

 自分のミスがなく、そのまま突っ走っていれば8位だった可能性が高い。当時の“幻の記録”を後輩たちが超えた。コースを間違えた“武勇伝”も、当時のメンバーと会えば笑い話だ。「関係者にもらった写真は家にあります。間違えた瞬間のやつです。(今日も交差点を)軽く見に行った。思い出の場所なので」と笑顔で語った。

 実業団で力を磨きながら、マラソンで日の丸を夢見る日々を送る。「はるかに今の子のレベルは上がっている。これだけ活躍すると、自分も負けていられない」。ミスを犯した8年前の自分、そして今の国学院大ランナーが前に進む活力をくれているようだ。

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