【箱根への道】「東洋の高見」&「青学の安藤」“リアル陸王”の夢はサポート選手の五輪活躍

2018年2月28日15時0分  スポーツ報知
  • 大手町のゴール付近で銅像をバックに自社製品を手にするニューバランスジャパン・安藤氏(左)とミズノ・高見氏(カメラ・森田 俊弥)
  • 2010年大会でガッツポーズしてゴールする東洋大・高見(右)15年大会で優勝のゴールテープを切る青学大・安藤

 東洋大OBでミズノの高見諒さん(29)と、青学大OBでニューバランスジャパンの安藤悠哉さん(23)は、ともに大手スポーツ用品メーカーに勤務し、箱根駅伝優勝のゴールテープを2度も切った。華々しく激しいスポーツブランド業界に身を置く“リアル陸王”が東京・大手町のゴール付近で対談し、学生時代の思い出や仕事に対する信念などを熱く語り合った。

 「ミズノの高見さん」「ニューバランスの安藤さん」というより、駅伝ファンには「東洋大の高見」「青学大の安藤」の方がなじみ深いだろう。高見さんは09、10年に、安藤さんは15、17年に箱根駅伝優勝のゴールテープを切った。

 安藤さん(以下安)「高見さんが優勝アンカーとなった時、僕は中学2、3年だった。テレビにかじりついて見ていました。当時、高見さんはロン毛(長髪)でカッコ良かった」

 高見さん(以下高)「安藤君が学生だった頃、僕は既にミズノで働いていたから現場で安藤君の雄姿を見ていました」

 94回の歴史を誇る大会で2度も優勝アンカーとなった選手は9人。2人はともに2年時に母校の初優勝というプレッシャーを背負って走った。

 高「2年生の時はタスキをもらった時点で2位の早大と1分26秒差。ちょっと失敗したら逆転される状況でした。3年生の時は5分以上の大差があったし、前回の経験もあるのでプレッシャーは少なかったけど、無事にゴールにたどり着くまで長く感じた」

 安「10区の23キロは本当に長い。脱水症状など何が起こるか分かりませんから。残り約2キロ、大声援がある銀座まで帰ってきてやっと安心できる。そこからのウィニングランは最高です」

 栄光の裏で、挫折や苦しみもあった。

 高「4年時は故障ばかりで走れなかった。最上級生なのにチームをまとめられず、優勝も逃した」

 安「特に3年生の時は苦しかった。2年生で優勝メンバーになり、これから主力になれるかなれないかという時、精神的にさまようことが多かった。4年生になって、やっと吹っ切れました」

 2人は卒業後に引退し、スポーツ用品メーカーに就職。

 高「1学年下に柏原竜二や山本憲二ら強い選手がいた。彼らを見て、自分の競技力の限界を感じました。そんな時、シューズ対応してくれたミズノの担当者の仕事ぶりにひかれて、僕もこういう仕事をしたいと思った。その担当者は今の上司(鈴木学さん)です」

 安「僕は入学した時から競技は4年間で燃え尽きるつもりでした。でも3年生の終わり頃になっても、卒業後に何をやりたいのか分かっていないまま就職活動に突入して苦戦しました。4年生の夏にスポーツに一生関わりたい、という気持ちが固まり、今の会社から内定をもらいました」

 昨年、TBS系で放送されたドラマ「陸王」は大人気となった。老舗足袋業者がランニングシューズを開発し、アスリートとともに戦う物語。ナイキ、アディダス、アシックスなどブランドとしのぎをけずるスポーツブランド業界は“リアル陸王”。競技者担当の高見さんは選手をサポートするため、練習や試合の現場を飛び回る日々を送る。

 高「ドラマなので誇張されている部分はありますが、仕事内容は陸王と近いし、アスリートを支えるという気持ちは同じ。僕がサポートして、ミズノのシューズを履いた選手が五輪で大活躍してくれることが究極の目標です」

 安藤さんは営業担当として大型スポーツ店と商談し、自社製品を売り込んでいる。青学大時代の恩師、原晋監督(50)は中国電力サラリーマン時代「カリスマ営業マン」と呼ばれた。

 安「原監督には『出世しろ。出世すれば自分が挑戦したいことができる』とアドバイスされています。将来は高見さんのように選手に近い仕事をしたいという気持ちもありますが、今は営業という仕事にやりがいと面白みを感じています」

 2月下旬、快晴の東京・大手町のゴールで会った高見さんと安藤さんは優勝アンカーの思い出に浸るよりも現在の仕事について熱心に意見交換した。箱根路で最高の瞬間を味わった2人は「箱根からの道」を全力で走っている。(取材、構成・竹内 達朗)

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