出雲駅伝、第1回大会は魂のタスキなし

2018年10月9日8時0分  スポーツ報知
  • 第1回出雲駅伝はタスキが用いられず、選手間の引き継ぎは「ボディータッチ」だった(出雲駅伝20年史=日本学生陸上競技連合・出雲市から)

 平成30年の今年、出雲駅伝は第30回大会。つまり、平成の始まりとともにスタートした。記念すべき第1回大会は駅伝の魂とも言うべきタスキなしで行われた。ランナーの引き継ぎは前走者が手のひらで次走者の背中などに触れるボディータッチだった。「出雲駅伝20年史」(日本学生陸上競技連合、出雲市)によると「最初10月はまだ駅伝シーズンではないという観点から駅伝の名称が使えず(中略)上半身へのボディータッチでスタートしました」と説明されている。

 第1回大会1区の区間賞。つまり、今大会の栄えある区間賞第1号は日大の谷川義秀さん(当時2年)だった。「味気なかった。駅伝はタスキを身につけてこそ力が湧き出るものですから」と振り返る。ちなみにその年度、谷川さんは3大駅伝すべてで1区区間賞。今なお唯一の快挙だ。

 谷川さんの言葉に代表されるようにタスキなしの駅伝は、やはり不評だった。大東大を4度、箱根駅伝優勝に導いた青葉昌幸監督(現関東学生陸上競技連盟名誉会長)は「監督会議でタスキを使うべきだ、と強く進言しました」と明かす。選手や監督からの要望を受けて、翌年からタスキが用いられるようになった。

 “エアタスキ”をつないだレアな駅伝に実は私も出場するチャンスがわずかにあった。当時、東洋大の2年生。その年の正月の箱根駅伝で8区を走った私は10位でタスキを受けたが、区間14位のブレーキ。チームは流れを逃し、14位に終わった。当時も今も関東からは前年度の箱根駅伝上位10校が招待される。「自分がしっかり走っていれば出雲に行けたのに…」。合宿所のテレビの前で、まさに指をくわえてレースを見ていた。

 それから30年。いまや母校は優勝を争う強豪校となった。平成の時間の長さを実感する。(竹内 達朗)

箱根駅伝

箱根駅伝 2018

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