負けても負けても…史上ワースト連敗記録を89で止めた服部桜が土俵に上がり続けた理由

スポーツ報知
連敗を止める1勝を挙げて指を立てる服部桜

 大相撲名古屋場所3日目の取組で、序ノ口・服部桜(19)=式秀=が連敗記録を89で止めてキャリア2勝目を挙げた。その前日、会場のドルフィンズアリーナですれ違った式秀親方(元幕内・北桜)に呼び止められ、「もうすぐ勝ちますよ。右差しの形が良くなってきてますからね。楽しみにしておいてください」と伝えられた。それでも「まだだろう…」と勝手に思いこみ、その日は朝稽古を取材するために、会場ではなく相撲部屋にいた。

 「服部桜が勝ったらしい」。先輩記者からLINEで知らされた時、会場に行かなかったことを後悔した。すぐに「本人の取材はしっかりやろう」と思い直し、式秀部屋の宿舎に向かうと、服部桜は浴衣姿で対応してくれた。

 「相手に触れずに倒れました。『あれっ』と思いましたが、何となく『勝ったんだな』と思いました」。対戦した颯雅(二子山)が立ち合いでバランスを崩し、非技の「腰砕け」で勝ちが転がり込んできた。それでも勝ちは勝ち。史上ワーストの連敗記録はこの瞬間に止まった。軍配が自分の方に上がり、「不思議な感じがした」と言う。正直な感想だろう。

 だが不思議に思わない人もいた。師匠の式秀親方だ。「結果は腰砕けですけど、流れで右を差そうとしてましたからね」と成長の証としての右差しが白星を呼び込んだと説明した。

 服部桜の連敗ストップが注目されたのは16年秋場所の一番の影響も大きい。錦城(現千代大豪)戦で3回も相手に触れず自ら転倒するなど、3回もやり直しになった末に敗れた一番は、無気力相撲ではないかと物議を醸した。当時、服部桜に厳しく注意したという式秀親方から、「彼は相撲未経験で入門して体も細い。立ち合いの稽古で首を痛めていたので、どうしたらいいか悩んでいた部分もあったんです」と事情を聞いた記憶がある。

 何かを変えなければいけない―。頭から当たる怖さがあるため、もろ手突きで挑む立ち合いに取り組んでいた時期もあった。そしてたどり着いたのが「右差し」だった。1年前から取り組んだこの形は、式秀親方が師匠の北の湖親方(元横綱)の生前の言葉をヒントにして指導したという。

 「私の師匠は『人は必ず右か左、どちらかの四つ身になる。それは押し相撲でも同じだ。うまい、下手関係なく持って生まれた型がある。それを伸ばしてやるのが指導だ』と話していました。それで稽古を見ると彼は右四つだったんです」。

 頭ではなく右の肩から相手に当たって右腕を差す。昭和の大横綱の言葉に活路を見いだして実践したこの形になり、腰を密着させれば、自分より小柄(服部桜は176センチ)で細い相手には勝てる。実際、稽古場でも兄弟子に勝つ場面があったという。入門希望者と30分以上も四つに組み合うこともあったそうだ。愚直に1つの型を反復した成果が白星を呼び込んだ側面があるかもしれない。

 これほど負け続けても土俵に上がり続けたのは「悔しかったから」だと服部桜は言った。周囲からの好奇の目や批判は気になっていなかったと言えばウソになるだろう。意地は見せた。式秀親方は「今後も連敗は続くかもしれない。ただ彼には大きな一歩でした」と言った。

 それでも「諦めなかった」と美談仕立てにするつもりはない。服部桜が力士を続ける限り、困難な道が待っているのは間違いない。今後は相撲内容がより、注目される。それこそ本人も望むところだろう。(記者コラム・網野 大一郎)

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