御嶽海やった!三重ノ海以来38年ぶり50度目の出羽海部屋V

スポーツ報知
お祝いの鯛を手に出羽海親方(右)らバンザイする御嶽海

◆大相撲名古屋場所14日目(21日・ドルフィンズアリーナ)

 師匠の出羽海親方(元幕内・小城ノ花)も、御嶽海の涙を万感の思いで見つめた。「おめでとうと伝えたい。本人もホッとしたんじゃないですか」。優勝直後から鳴りやまない携帯電話を手に取り「数分の間に50件もお祝いメールが来ているよ」と苦笑いした。名古屋場所担当理事の重責を担うも、3横綱1大関の休場などでチケット販売は苦戦。御嶽海の奮闘で救われ、この日まで14日間連続で満員札止めを記録した。

 14年2月に部屋を継承した当初は苦しんだ。全盛期は60人以上も力士が所属したが、現在は15人。10年名古屋場所では100年以上も続いた関取も途絶えた。強豪校とのパイプもなく「右も左も分からない状態」と語る実弟の中立親方(元小結・小城錦)と、新弟子のスカウトに奔走。紹介先を求めて地元の千葉・市川市の教育委員会に出向いたこともあった。

 その後、関係者を通じて東洋大で個人タイトル15冠の御嶽海と出会った。口説き文句は「部屋を再興したい。力を貸してほしい」。熱意が実り、救世主の15年春の入門が実現した。出羽海親方の入門は、三重ノ海が最後に優勝した3年後の83年名古屋場所。初めての優勝の味をかみしめ「グッとくるもの? それはあったよ。もう、泣かせようとしないでよ」と歓喜の涙をこらえた。(小沼 春彦)

 ◆出羽海部屋 1890年、初代常陸山の桂川立吉が創設。現存する部屋では佐田の山ら最多の9人の横綱、4人の協会理事長を輩出し、11の部屋からなる出羽一門の本家。「分家独立を許さず」が不文律で、1919年に横綱・栃木山が春日野部屋を興した後は、81年に三重ノ海の武蔵川部屋まで一門内の独立を認めていなかった。部屋建物は66年が土俵開きで現在の相撲部屋では最も歴史が古い。現在の師匠は11代目(元幕内・小城ノ花)。

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