派手な外車、高級腕時計、著名人とも交流…8日に死去の元横綱・輪島さんの横顔

スポーツ報知
16年2月、記者と筆談で会話をする輪島さん

 大相撲の第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博=わじま・ひろし)さんが8日に都内の自宅で亡くなっていたことが9日、遺族への取材で分かった。70歳だった。

 日大から角界入りし、3年半で学生出身初の横綱に昇進。「黄金の左」と呼ばれた左差しで史上7位の14度の幕内優勝を飾った。15年に死去した横綱・北の湖(日本相撲協会前理事長=享年62)と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。引退後は花籠親方として部屋を継承するも金銭問題で廃業し、以降はプロレスラー、タレントに転身した。葬儀・告別式などは未定だが、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

 史上初の学生相撲出身横綱・輪島は、土俵外でも「黄金の逸話」ばかりだ。当時の本場所が開催されていた蔵前国技館にちなみ、「蔵前の星」がニックネーム。元大関で歌手・増位山太志郎(70)は「ちょんまげを結う前に、パーマをかけて注目されたりね」と型破りな姿を懐かしんだ。

 地方場所では高級ホテルに宿泊。「腰のことを考えたら」と部屋には畳を持ち込んで床に敷き、ベッドでは一切寝なかった。そして、部屋の稽古へ。派手な外車で場所入りし、マスコミにも追いかけられた。元横綱・三重ノ海の石山氏も「ホテルから部屋(の稽古)に通うなんて、ありえない話だが、それだけの結果を出していた。うらやましい感じでも見ていた」と振り返った。高級ブランドの腕時計を身につけ、各界著名人とも幅広い交友関係があった。

 華やかな現役生活の一方で、引退後は暗転。花籠親方として後進を指導も、金銭トラブルで処分を受けて平年寄に降格し、85年に角界を去った。プロレスラーに転身したものの、デビュー当時38歳。年齢的な面もあり、実働2年8か月で“2度目の引退”となった。

 14年には二所ノ関一門の連合稽古に姿を見せた。咽頭がん手術で声は出せず、筆談で意思疎通を図った。遠縁にあたる当時幕下の幕内・輝(24)=高田川=を握手で激励するなど、いつも土俵を気にかけていた。現役時代、同じ花籠部屋で付け人を務めていた芝田山親方(元横綱・大乃国)は「『冷蔵庫にサイダーが入っているから飲め』とか『花に水をやれ』とか言われてね」と意外な一面を披露。豪快さと優しさを持ち合わせた力士だった。

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