公衆電話で「そっちから10円入れて」“天然”だった輪島さん…元格闘技担当記者が悼む

スポーツ報知
1986年11月、プロレスデビュー戦でタイガー・ジェット・シン(手前)と対戦する輪島さん

 大相撲の第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博=わじま・ひろし)さんが8日に都内の自宅で亡くなっていたことが9日、遺族への取材で分かった。70歳だった。

 日大から角界入りし、3年半で学生出身初の横綱に昇進。「黄金の左」と呼ばれた左差しで史上7位の14度の幕内優勝を飾った。15年に死去した横綱・北の湖(日本相撲協会前理事長=享年62)と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。引退後は花籠親方として部屋を継承するも金銭問題で廃業し、以降はプロレスラー、タレントに転身した。葬儀・告別式などは未定だが、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

 「レスラー・輪島」を2年ほど取材した。左腕で相手の首を抱えて倒す「ゴールデンアームボンバー」を武器に、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンら多くの猛者と対戦した。当初は攻められて不安そうな表情になる時も。師匠のジャイアント馬場さん自らが、タッグを組んで駆け引きを伝授していた。

 「横綱」と呼ばれ慕われていたが、リングを離れれば、後輩には丁寧語で話していた。合宿所で若手に自らちゃんこ鍋を振る舞うことも。「うまい? 食べて、食べて」。小橋建太らに交じり、ご相伴にあずかった「自慢の」豚キムチ鍋はおいしかった。

 少し“天然”なところもあって、国際電話でオペレーターに「コレステロール、プリーズ」と言ったり、公衆電話で硬貨を切らすと、相手に「そっちから10円入れて」とお願いしたり…。どこまでが真実か…。ある時、「セブンスターのマイルドを買って来て」とたばこを頼まれた。「ああ、マイルドセブンのことか」と買って渡したら「俺が頼んだのはセブンスターマイルドだよ」とムッとされた。でも、すぐに笑顔で「ありがとう」。こういう人柄だから、“逸話”も多いのだろう。

 88年に来日したプロボクシング元統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)に直撃取材をかけた時、「スモウレスラーのワジマがケガをしたと聞いた。大丈夫か?」と聞いてきた。2人は米国で一度会っており、その話をすると「タイソンが俺のことを心配してくれた」と大喜び。周囲に自慢しまくっていた。巡業先の夜、少し顔を赤らめた「横綱」の笑顔が忘れられない。(元格闘技担当・谷口 隆俊)

スポーツ

×