「黄金の左」実は「黄金の右」でもあった…81年、輪島さん「最後の相手」尾車親方が明かす

スポーツ報知
1981年春場所、輪島さん(左)と対戦する琴風

 大相撲の元横綱・輪島大士さんが亡くなったことが9日、分かった(享年70)。日大から入門後、わずか3年半で横綱まで上りつめた希代の実力だけでなく、土俵外でも華やかな現役生活を過ごして注目を浴びた。1981年春場所で引退した輪島さんの最後の対戦相手、尾車親方(元大関・琴風)=スポーツ報知評論家=が、その人柄を振り返りつつ故人をしのんだ。

 輪島さんは「黄金の左」と言われていたが、実は「黄金の右」でもあった。右からのおっつけがとにかく強烈で相手の体が浮き上がるから左からの下手投げも簡単に決まっていた。

 1980年の春場所。中日での対戦は組み合って長い相撲になった。最後は寄り倒しで負けたが、「黄金の左右」の強烈なおっつけで私の両手はまわしを握ったままの形で動かない。その夜、師匠(佐渡ケ嶽親方=元横綱・琴桜)にステーキ店に連れて行ってもらっても、ナイフとフォークが持てなくて女性店員に肉を口に運んでもらった。

 目立たなかったが、立ち合いも抜群だった。ライバルの北の湖さんは相手をはじく立ち合い。輪島さんは相手を吸い込み力を出させない立ち合いだった。どんなに頭から強く当たっても、いつのまにか左四つに組み止められてしまった。

 性格は少し気の小さい面があった。巡業で種子島から鹿児島市に大型船で移動した時、海が大荒れだった。高砂親方(元大関・朝潮)と一緒だった私たちの部屋に顔面蒼白(そうはく)の輪島さんが「頼む。何か話をしよう」と入ってきた。恐怖のあまり一人で部屋に居られなくなってしまったのだ。

 輪島さんの最後の対戦相手は私だった。81年春場所2日目に寄り切りで敗れ、翌3日目で引退した。「なぜ引退したんですか」と聞いたら「お前に負けたら勝てる相手はいないだろう」と言われたのもいい思い出だ。合掌。(スポーツ報知評論家)

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