デーモン閣下、輪島大士さんに惜別の献歌「千秋楽」歌い上げ「感慨深い」

スポーツ報知
弔辞の際、「千秋楽」を歌うデーモン閣下

 8日に下咽頭、肺がんによる衰弱で死去した大相撲の第54代横綱・輪島大士さん(本名・輪島博、享年70)の葬儀・告別式が15日、東京・青山葬儀所で営まれ、日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)、巨人から来季監督の正式要請を受けている原辰徳氏(60)ら約300人が参列した。好角家のアーティスト、デーモン閣下は自身が作詞した「千秋楽」を歌い上げて惜別の献歌。「黄金の左」「蔵前の星」と呼ばれた昭和の名横綱に最後の別れを告げた。

 優勝14度を誇った名横綱の出棺時に、曇天から涙雨がこぼれた。輪島さんの朱色の棺(ひつぎ)は親族、原辰徳氏、デーモン閣下らに抱えられ、代名詞だった金色のカーペットの上を進んだ。通算勝ち星にちなんで用意された「673個」の金色風船も天高く舞う。一緒にちゃんこを食べるなど親交のあった原氏は「大事な先輩、大切な先輩。早かったなと思います。いろいろなことを教えてもらいました」と惜しんだ。

 波乱万丈の人生70年だった。学生出身初の横綱昇進。金銭問題で相撲協会を離れるとプロレスラー、タレントにも挑戦した。13年には咽頭がんの手術で発声が困難になった。喪主を務めた夫人の留美(るみ)さんは「自由すぎて大丈夫かなと思うことばかりだったが、最後に主人は自宅ソファでテレビを見ながら眠るように亡くなっていた。ご迷惑をおかけすることの多かった人生ですが、最後は一人で誰にも迷惑をかけず、とてもいい顔で眠っていました」と約300人の参列者の前で、すすり泣いた。

 好角家のデーモン閣下は、引退する力士をイメージして作詞した「千秋楽」を伴奏なしの哀切な声で、しみじみと歌い上げてささげた。「今までどこの引退相撲でも歌ったことがなかった。最初が輪島さんというのも感慨深い。歌詞の中に(太陽を表す)『日輪(にちりん)』があるが、輪島さんの『輪』を入れたかったから。その瞬間は思わず遺影を見ました」と明かした。

 86年のプロレスラー転身直後の米国武者修行時代を振り返ったのは、輪島さんを現役時代から後援してきた加賀屋会長の小田禎彦葬儀委員長(78)だった。「ラスベガスで『米飯を食べないと元気が出ない』と。お米と電気釜を持参して会いに行った。(ジャイアント)馬場さんに一から教えてもらっているんだぞ、と励ました。涙ながらにおにぎりを食べてプロレスに精進した。天才と呼ばれたが見えないところで努力していた。偉大でした」と懐かしんだ。

 霊きゅう車のクラクションが鳴らされると「輪島~、ありがとう」と惜別の声が飛んだ。「にぎやかなことが好きだったので、さぞ喜んでいると存じます」と留美さん。あふれんばかりの“黄金の逸話”には、誰からも好かれた輪島さんの人柄があった。(小沼 春彦)

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