稀勢の里、無言貫く 5日目は… 横綱87年ぶり初日から4連敗

スポーツ報知
初日から4敗目を喫した稀勢の里はあおむけに倒れ込む(カメラ・朝田 秀司)

◆大相撲九州場所 4日目 ○栃煌山(すくい投げ)稀勢の里●(14日・福岡国際センター)

 初白星を目指し、4日目の“強行出場”を決断した横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=が、悪夢を見た。結びで前頭2枚目・栃煌山(31)=春日野=に物言いの末、行司差し違えで敗れた。横綱の初日からの4連敗(不戦敗をのぞく)は、昭和以降の横綱では1931年1月の宮城山以来、87年ぶり。49年の15日制定着後では初めてだ。自身3度目となる3日連続の金星配給も優勝制度ができた1909年6月以降では千代の山と並ぶワースト記録。休場すれば進退問題が再燃しかねない中、和製横綱の決断が迫られる。

 期待と願いが入り交じった稀勢の里への手拍子が、行司差し違えで悲鳴に変わった。立ち合いから左を差して土俵際まで追い込んだが、栃煌山の捨て身の左すくい投げで同時に土俵外へ。稀勢の里に上がった軍配は物言い。左肩がわずかに早く着いて敗れた。支度部屋では「最後まで務め上げる気持ちに変わりないか」と問われても無言。2度、ため息をついた。汗を拭った赤タオルを上がり座敷にたたきつけ、いらだちも隠せなかった。

 悪夢の黒星だ。横綱が初日から出場しての4連敗は昭和以降の横綱で31年の宮城山以来87年ぶり、49年の15日制定着以降では初の屈辱だ。さらに、3日連続の金星配給は1909年6月に優勝制度ができてからこれで17例。稀勢の里の3度目は、千代の山と並ぶワースト記録となった。

 休場危機がささやかれる中で4日目の出場を“直訴”した。3連敗を喫した夜。福岡・大野城市の田子ノ浦部屋宿舎に戻った横綱は、師匠・田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)に会うなり「頑張ります」と口にした。同親方は「自信を持っていけ」と背中を押した。

 88年の秋場所で初日から3連敗し、8勝7敗で皆勤した芝田山親方(元横綱・大乃国)は「下を向いても白星はやってこない。8番(勝つだけ)でもいい。人が認める、認めないではなく、自分がやりきれるかどうか」と擁護した。兄弟子だった西岩親方(元関脇・若の里)も「勝てば元通りの稀勢の里になる。まだ諦めるのは早い。ひとつ勝てば流れは変わる」と祈るような気持ちだった。

 取組後、福岡市内で二所ノ関一門の会合に出席した田子ノ浦親方は他の親方衆から「『横綱、頑張ってくれ』と励まされた」と明かした。だが、勝利が義務づけられた番付最高位。不名誉な記録ばかりで一人横綱の重責は果たせていない。秋場所の10勝で引退危機はひとまず脱したが、このまま前例にない黒星を積み重ねれば、出場を続けたとしても、進退を問う声が再浮上しかねない。場所後には横綱審議委員会もある。

 師匠から遅れて午後8時過ぎに宿舎へ戻った和製横綱は険しい顔で無言を貫いた。追いつめられた稀勢の里は、5日目の土俵に立てるのか。(大谷 翔太)

 ◆第29代横綱・宮城山の1931年1月場所 当時は11日制で、初日から藤ノ里、新海、玉碇、山錦に4日連続の金星を配給。だが、5日目から3連勝するなど最後まで相撲を取り切って5勝6敗。翌3月場所前に引退した。

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