貴ノ岩引退、悔恨「自分の弱さ」…時間を戻せるなら「新弟子になりたい」

スポーツ報知
引退会見を終えて立ち上がり、一礼する貴ノ岩(右)と千賀ノ浦親方(カメラ・頓所 美代子)

 大相撲の幕内・貴ノ岩(28)=千賀ノ浦=が7日、師匠・千賀ノ浦親方(元小結・隆三杉)とともに東京・両国国技館を訪れ、日本相撲協会に引退届を提出。即日、受理された。貴ノ岩は冬巡業中の4日夜、付け人の三段目・貴大将(23)に暴力を振るって部屋で当面の謹慎処分を言い渡されていた。厳罰は避けられない状況だったが、騒動を起こした責任を取って自ら身を引いた。引退後の会見では目を潤ませて猛省の言葉を繰り返した。

 貴ノ岩は神妙な顔つきで深々と約10秒、頭を下げた。午後7時半、報道陣70人が詰めかけた東京・台東区の千賀ノ浦部屋でケジメの引退会見に臨み「弟弟子に手を上げたことを深く反省し、責任を取って本日をもって貴ノ岩義司(よしもり)は現役を引退させていただきます」。目は真っ赤だった。

 冬巡業中の4日夜、食事中にビールを1杯飲んだ。そして福岡・行橋市の宿舎で、飲み薬を忘れて言い訳をした付け人の貴大将に激高し、座らせたまま平手と拳で4~5発頬を殴打。貴大将の顔は腫れ上がった。

 問題が発覚した5日に緊急帰京させられ、相撲協会から事情聴取を受けた。「自分の気持ちの弱さ。反省の気持ちしかない」。部屋での謹慎が始まった6日に引退を決意。千賀ノ浦親方から「辞めないで頑張ろう」と諭されても揺らがなかった。入門から4年後、12年名古屋場所で関取となった。前師匠の元貴乃花親方に対しては「育ててくれた感謝、迷惑をかけて申し訳ない気持ちの両方ある」と話した。

 昨年10月に元横綱・日馬富士関から暴行被害を受けた痛みを忘れ、約1年後に加害者になってしまった。この日午後、千賀ノ浦親方に付き添われて両国国技館を訪れた。高野利雄・危機管理委員長(元名古屋高検検事長)、鏡山危機管理部長(元関脇・多賀竜)から再び聞き取りを受け、八角理事長(元横綱・北勝海)に引退届を提出。「本当にそれでいいのか」と再三、意思確認されても土俵を去る決意は変わらなかった。

 殴られた貴大将も朝稽古後、所用で国技館を訪れた。6日は部屋で貴ノ岩と顔を合わせなかったが、引退意思は知っていた。「自分はもう謝ってもらった。今日は(部屋に戻って)あいさつしようと思う。(頑張れと)岩関(貴ノ岩)も思っているはず」と受け入れた。

 今年10月に協会から「暴力決別宣言」が発表された直後に起こった不祥事。八角理事長は「いかなる目的でも許さない」と暴力根絶へ断固たる姿勢を示しており、貴ノ岩への厳罰は避けられなかった。だが処分を受ける前に、力士人生に終止符を打つ決断に至った。

 芝田山広報部長(元横綱・大乃国)は「昨年からの一連の流れの当事者として後悔の念があるのでは」と推し量った。「もし時間を戻せるとしたら?」と問われた貴ノ岩は「新弟子になりたい」と心境を吐露した。暴力に頼れば番付に関係なく、取り返しのつかない代償を払う。今後の指標になりうる幕切れだった。

 ◆貴ノ岩に聞く「今後は考えていません」

 ―今の心境は。

 「上を目指して頑張っていくという気持ちで相撲道に精進してましたが、自分のやったことに深く責任を感じています」

 ―引退以外の方法は考えなかったか。

 「相撲を続ける気持ちは今でもありますけど、引退して責任を取るという気持ちの方が強い」

 ―1年前の事件から、幕内にやっと戻ってきた。迷いはなかったか。

 「責任を取るという気持ちの方が強かった。迷いはありません」

 ―付け人とは話したか。

 「話して、謝罪しました」

 ―今の師匠への思いは。

 「部屋に受け入れてくれて、一生懸命恩返しして精進していく気持ちでしたが、このような形で離れることになり、申し訳ない気持ちしか今はありません」

 ―元貴乃花親方に連絡はしたか。

 「はい」

 ―何か言われたか。

 「そこは…。すいません」

 ―相撲を通じて学んだことは。

 「一生懸命、無我夢中で努力することを学びました」

 ―大相撲の世界で一番思い出に残っていることは。

 「仲間との稽古。一緒に汗を流して、日々ぶつかりあってきたのが思い出です」

 ―今後については。

 「急なことですから、今のところ考えていません」

 ◆貴ノ岩 義司(たかのいわ・よしもり)1990年2月26日、モンゴル・ウランバートル出身。28歳。16歳で鳥取城北高に相撲留学し、卒業と同時に貴乃花部屋(現在は千賀ノ浦部屋)に入門した。初土俵は09年の初場所。12年の名古屋場所で新十両、14年の初場所でそれぞれ新入幕を果たした。最高位は前頭2枚目。得意は右四つ、寄り・投げ。182センチ、150キロ。

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