白鵬、平成最後の天覧相撲に感謝の星「平成に育ててもらいましたから」

スポーツ報知
天皇、皇后両陛下に一礼して引き揚げる白鵬(カメラ・佐々木 清勝)

◆大相撲初場所 8日目 ○白鵬(下手出し)碧山●(20日・両国国技館)

 平成最後の天覧相撲に満員御礼の両国国技館が沸いた。2年ぶりに天皇、皇后両陛下が観戦された結びの一番で、横綱・白鵬(33)=宮城野=が、前頭5枚目・碧山(32)=春日野=を下手出し投げで破った。2007年夏場所後の横綱昇進以降、天覧相撲は6戦全勝。一人横綱の意地と責任感で唯一の中日勝ち越しを決め、「平成」に愛された大横綱が自身42度目の賜杯へ独走態勢を築き始めた。

 終わりゆく平成への感謝を込めた土俵だった。白鵬は、両陛下が温かく見守る結びで碧山を右下手出し投げで下し全勝ターン。単独トップを守り、支度部屋では陛下への思いを口にした。「花道を下がるときに少し(貴賓席を)見ました。さみしいというか…。平成に育ててもらいましたから」。平成中期から番付を駆け上がり、第一人者として角界をリードした自負がある。「いつも通りの気持ちだった」と平常心を貫き横綱昇進後、天覧相撲6連勝。「何か縁があるのかな」。平成最後の天覧相撲を締め、静かにほほ笑んだ。

 陛下からの一通の書簡を心の支えとしてきた。2010年名古屋場所、野球賭博問題に揺れる協会は賜杯を辞退。史上初3場所連続全勝Vの白鵬は「この国の横綱として賜杯は頂きたかった」と優勝インタビューで悔し涙を流した。気持ちの晴れない日が続いた場所後、陛下から激励の書簡が届いた。「おねぎらいとお祝い」という言葉が入った文面。「賜杯を手にできなかった思いが伝わり、本当にうれしかった」。思いもよらないお言葉に心は震え、希望の光がともった。

 書簡は協会が保管し、コピーを自宅に大切にしまっている。「何度か見ています」。土俵上の所作や暴行問題での批判、年齢とともに増えてきたけがとの闘い―。「平成にはたくさんの思い出がありますが、陛下の手紙がなければ、ここまで頑張れなかった」。心が折れそうなときは、書簡を見て気持ちを奮い立たせた。

 右膝などを手術し、昨年九州場所を全休した。今場所序盤戦は危ない相撲もあったが、内容は尻上がりに安定し、自身の最多記録を更新する46度目のストレート給金。「出来過ぎ」。謙遜するが、復活をアピールする42回目の優勝へ死角は消えてきた。19日は昭和の大横綱・大鵬さんの6回目の命日で取組後に大鵬さんの家を訪れ、仏壇に手を合わせ精進を誓った。「しっかり引っ張っていきたい」。平成最後となる東京での本場所。最後は笑顔で天皇賜杯を抱く。(斎藤 成俊)

 ◆天皇陛下から白鵬への書簡内容 10年名古屋場所優勝の白鵬に対して、8月3日に天皇陛下のお気持ちとして宮内庁侍従職が、「天皇陛下には先般の名古屋場所において困難な状況にありながら、連日精励奮闘して幕内全勝優勝を果たしたのみならず、大鵬関の連勝記録を超え、歴代3位の連勝記録を達成した横綱白鵬関に、おねぎらいとお祝いをお伝えになるとともに、今後とも元気に活躍するよう願っておられる旨の仰せがございましたので、貴理事長代行より白鵬関に伝達頂ければ幸甚でございます」との書簡を、日本相撲協会・村山弘義理事長代行(当時)に手渡した。

 ◆天覧相撲 明治天皇の1868年4月、大阪・坐摩神社での京都相撲が最初とされる。国民とともに本場所土俵を観戦されるようになったのは、昭和天皇の1955年夏場所から。現在は年1回が慣例となっているが、昭和天皇は85、86年に東京開催の年3場所すべてに足を運ばれるなど計51回。平成に入ってからは90年夏から今年で23回目。昨年初場所は一連の不祥事などを受け取りやめになっていた。

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