小田卓朗、1500メートル20年ぶり入賞も5位に「悔しいです」

スポーツ報知
金メダルのナウシュに一時リードしていた小田卓朗(カメラ・酒井 悠一)

◆平昌五輪第5日 ▽スピードスケート男子1500メートル(13日・江陵オーバル)

 男子1500メートルで初出場の小田卓朗(25)=開発計画研究所=が1分45秒44で5位に入った。同種目では98年長野大会の野明弘幸、青柳徹以来、20年ぶりの入賞で、88年カルガリー大会の青柳の最高順位に並んだ。ウイリアムソン師円(22)=日本電産サンキョー=は1分46秒21で10位。

 誰もが認める大健闘にも、小田の目は潤んでいた。金メダルを獲得したキエルド・ナウシュ(オランダ)と同走し、必死に食らい付いた。1分45秒44。男子1500メートル最高タイの5位で20年ぶりの入賞を果たしたが、喜びよりも3位との0秒51差が頭に残った。「悔しいです。終わって実感が湧いてきて、めちゃくちゃ悔しい」と声を震わせた。

 早大2年の時、スケートへの情熱を失った。「面白くなかった。投げやりになっていた」。合宿時は男子と同じ練習には体力が続かず女子のメニューに取り組んだが、それでも寝込むことがあった。周囲に「仮病だ」とまで言われた。

 転機は3年時。ソチ五輪シーズンに一念発起した。五輪切符は逃したが、日本代表として国際大会に出場するようになった。16年W杯アスタナ大会では1000メートルで憧れのシャニー・デービス(米国)に競り勝って初めて3位に入り「無理じゃないと実感できた」と世界と戦う自信をつかんだ。

 12日には同じ距離で女子の高木美帆が銀メダルを獲得。「届かないところじゃないと彼女が証明してくれた。自分もできるし、やってやろうと思った。この種目にメダルを持って帰ってきたかった」。メダルには届かなかったが、苦戦が続いた男子中距離に光が差し込んだ。(林 直史)

 ◆小田 卓朗(おだ・たくろう)1992年7月13日、北海道・浦河町生まれ。25歳。姉の影響で小1からスケートを始める。山形中央高、早大を経て、茨城で建築コンサルタントを行う開発計画研究所に所属。1000メートルと1500メートルで今季日本記録を樹立した。178センチ、75キロ。家族は祖母、両親、姉、弟。

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