小林陵侑、日本人初4戦全勝で完全V「歴史をつくれてうれしい」

2019年1月8日6時10分  スポーツ報知
  • 4戦全勝でジャンプ週間総合優勝を果たし、兄・潤志郎(右下)に担がれ大喜びする小林陵。完全制覇は史上3人目の快挙となった(ロイター)

 ◆W杯スキー(6日、オーストリア・ビショフスホーフェン)

 ジャンプ男子は、オーストリアのビショフスホーフェンでジャンプ週間最終戦(ヒルサイズ=HS142メートル)が行われ、今季個人総合首位の小林陵侑(22)=土屋ホーム=が135メートル、137・5メートルの合計282・1点で優勝。日本人初、史上3人目となる4戦全勝での総合優勝を飾った。15年の土屋ホーム入社以降、選手兼任監督の葛西紀明(46)と二人三脚で歩んできた次世代エース。歴史的快挙の陰には、レジェンド葛西の「言葉」があった。

 小林陵は総合王者の証し、黄金のワシのトロフィーを大事そうに抱いた。「めっちゃくちゃ重すぎた。たぶん30キロくらいある(笑い)」。ジャンプ週間4戦で唯一日本勢が未勝利の今戦を攻略し、01~02年のハンナバルト(ドイツ)、昨季のストッフ(ポーランド)に続く完全V。日本勢の優勝は、97~98年の船木和喜以来、21年ぶり2人目だ。「日本初のグランドスラムで歴史をつくれてうれしい」と拳を突き上げた。

 4位発進の2回目。「(タイトルは)欲してもらえるものではない。とにかく集中していた」と、137・5メートルで鮮やかにまくった。代表の宮平秀治ヘッドコーチは「(踏み切りで)スキーに力を与えられるから(板を)引き上げるのが速くなる。2回目は、もうパーフェクト」。素早く空中姿勢に移行でき、力のロスなく飛べる。同い年のライバル中村直幹(22)=東海大=は「すぐ隣にチャンピオンがいる。そこを目指したい」。偉業が周囲に与える好影響も計り知れない。

 「ノーポイントだな」。土屋ホーム選手兼任監督の葛西から、何度も突き放された。16~17年季。高卒社会人2年目の小林陵は、個人戦の出場全17戦でW杯ポイントを獲得できない31位以下に沈んだ。師匠には、狙いがあった。「悔しい気持ちが若い選手に足りないと思って、わざと奮い立たせるようにし向けた。『優勝して見返してやれ』とも言った」。闘争心に火が付いた。愛車のポルシェもローンで購入し「払わないといけないプレッシャーの中で努力すれば、結果もついてくるんじゃないか」と退路を断った。

 17年6月の沖縄・石垣島合宿。葛西らとともに、体を追い込んだ。発達した下半身にバキバキの腹筋。高校まで複合にも取り組んで養った基礎体力を、さらに磨いた。長さ10メートル、地面から数十センチの高さに張ったベルトの上を支えなしで歩く「スラックライン」を難なく渡る。早朝は20分ジョギングの後、海に向かい目を閉じて5分間のイメージトレーニング。勝てる姿を頭に描き、心の強さも養った。心技体が整い、覚醒の下地ができた。18年平昌五輪はノーマルヒル7位入賞。「(躍進は)今までの蓄積かなと思う」と小林陵はうなずいた。

 歴史を塗り替えたジャンプ週間の先にも、目標は待つ。2月の世界選手権(オーストリア)の初優勝。11戦8勝のW杯も日本男子初の個人総合Vへ独走態勢に入った。そして22年北京五輪―。「自分は五輪の金メダルを取っていないので(船木や葛西には)まだ並べない」。手にするべき一流の証しは、まだたくさんある。

 ◆小林陵侑(こばやし・りょうゆう)

 ▼生まれとサイズ 1996年11月8日、岩手・八幡平市生まれ。22歳。174センチ、59キロ。

 ▼競技歴 5歳でスキーを始め、小学校1年生から本格的にジャンプを始める。2012年2月の全日本中学校大会では、ジャンプと複合の2冠を達成。盛岡中央高まではジャンプと複合を両立していたが、15年土屋ホーム入社後はジャンプに専念。

 ▼4きょうだい 兄・潤志郎は雪印メグミルク、姉・諭果はCHINTAIに所属するジャンプ選手。弟・龍尚(たつなお)も盛岡中央高でジャンプに取り組む。

 ▼名前の由来と幼少期 「陵」は一つ高い位置で周囲を見て生活できる人。高みを見る人。「侑」は人を助けるくらいの人柄になってほしい、という願いが込められている。幼少期は目立ちたがり屋で、面白いことを言って周囲を和ませた。

 ▼おしゃれ 中身が丸見えの透明なスーツケースを愛用。両手にブレスレットをはめたスタイルは海外メディアも興味津々で、ファッションや愛車のポルシェについて質問が飛んだ。「注目されているということ。いいんじゃないですかね」

 ▼天然キャラ 大会前、海外メディアに「ネオヤパナー(新日本人)」と自己紹介した。大会期間中に用具を忘れて公式練習を飛べないアクシデントにも平然。兄・潤志郎は「日本人ぽくない」。

冬スポ
注目トピック