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羽生善治、史上初の永世7冠「最後のチャンスかもしれないという気持ちで臨んでいました」

2017年12月6日6時0分  スポーツ報知
  • 渡辺明前竜王(右)を破り「永世7冠」の称号を手にした羽生善治竜王(カメラ・北野 新太)
  • 羽生善治永世7冠の足跡

 将棋の羽生善治棋聖(47)は5日、通算7期目の竜王を獲得し「永世竜王」の資格を得て、永世称号制度のある7タイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)全てを手にする「永世7冠」を史上初めて成し遂げた。鹿児島県指宿市で指された第30期竜王戦7番勝負の第5局で、挑戦者として渡辺明竜王(33)を先手番87手までで破り、対戦成績4勝1敗で15期ぶりに竜王を獲得、棋聖と合わせ2冠となった。自身の持つ通算タイトル獲得記録は大台が目前の99期とした。

 偉大な瞬間に劇的な空気はなかった。終局直後、羽生はまぶしいフラッシュを浴びても、大記録について問われても決して笑わなかった。平然と、淡々としたままだった。「終わってホッとしたところはありますが、終わったばかりで実感はまだありません」。漂わせたのは王者の風格だった。

 節目の白星も羽生将棋を象徴する一局になった。研究量が試される戦型「角換わり腰掛け銀」(※)に誘導。周到に準備した新構想を披露し、大胆に攻め立てた。変幻自在の指し手で駒は全軍躍動。午後4時23分、ガックリとうなだれた渡辺が投了を告げた。

 15期ぶり7期目の竜王位を奪還した羽生は「永世竜王」の資格を得て史上初の「永世7冠」となったが「ひとつの記録を達成できた意味でうれしい気持ちもあります」。高揚は一切感じさせなかった。

 「もしかしたら最後のチャンスかもしれないという気持ちで臨んでいました」。棋界最高位の竜王が鬼門だった。1989年、当時の史上最年少タイトル記録となる19歳で竜王になった。02年まで6期を積み上げたが「永世竜王」を前に足踏みが続いた。2008年は渡辺に対して初戦から3連勝して追い込んだが、将棋界初の「3連勝4連敗」の大逆転負けを喫した。10年も再挑戦したが、またしても渡辺に屈した。

 名人戦も含め、2日制で持ち時間が長いタイトル戦を比較的苦手としていた。状況を打破するために大切にしたのは、探求心だ。「一線で指し続けるには経験に頼った指し方もありますけど、最新流行の将棋も採り入れる必要があります」。AIの進化による現代将棋の激変期。既存の価値観を否定され、ベテラン勢が苦戦する中、羽生は若手の研究合戦に真っ向から挑み、トレンドを生み出している。

 「3度目の正直」で渡辺を下し、「永世7冠」に。「何度も負けて来て、渡辺さんには(他棋戦含め)2日制で勝ったことがないので今回結果を出せたのはうれしいです」。歴代最多のタイトル獲得期数を99とし、大台にも王手をかけた。

 大記録は、さらなる栄誉の呼び水になるかもしれない。1996年の史上初の7冠制覇達成時と2008年に永世7冠に挑んだ際、時の政権は国民栄誉賞授与を検討してきた。安倍政権は授与について言及はしていないが、議論に移る可能性は十分にある。

 空前の将棋ブームとなった2017年。「藤井さんのような若い棋士も、加藤先生のような年配の棋士もいる。世代が離れていても、ひとつの盤で対局できることが将棋の魅力だと思います」。ひふみんは去り、藤井が登場した。多くの若手が台頭する群雄割拠の将棋界だが、まだ頂点には羽生善治がいる。(北野 新太)

 ※角換わり腰掛け銀…序盤で互いの角を取り合う「角換わり」。右の銀将を中央の歩の前に進出させる「腰掛け銀」。古くからある戦法だが、新手が研究され進化している。

 ◆羽生 善治(はぶ・よしはる)1970年9月27日、埼玉県所沢市生まれ。47歳。6歳で将棋を始め、12歳で棋士養成機関「奨励会」入り。85年、史上3人目の中学生棋士に。89年の竜王戦で史上最年少(当時)19歳で初タイトル獲得。96年7冠達成。通算獲得タイトルは歴代1位の99期。家族は元女優の理恵夫人と2女。

 ◆永世称号制度 竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖の7タイトルで規定をクリアした棋士に与えられ、原則として引退後に名乗ることができる。羽生竜王に続くのは、5つの故大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人(70)。2人は竜王の前身の「十段」で永世の称号を獲得している。次いで、渡辺前竜王が永世2冠。タイトル戦は前記の7タイトルに加え、今年から昇格した叡王戦を含め、8つ。叡王戦については今後、永世称号の条件が決められる。

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