西武、巨人で活躍“左腕キラー”西岡良洋さん、年商1億円超焼き肉店オーナーに華麗なる転身

2018年5月22日16時0分  スポーツ報知
  • 焼き肉店オーナーに転身した西岡良洋さん。沖縄・那覇市では「肉割烹29」を営む

 プロ野球の西武、巨人などで活躍した“左腕キラー”で強肩、俊足の外野手・西岡良洋さん(56)が、焼き肉店オーナーに転身して成功を収めている。複数の店舗を展開し、その年商は計1億円超。6月には新潟に新店舗をオープンする。経営が軌道に乗るまでの苦悩、16年間で8度のリーグ優勝を経験した現役時代について語った。

 2009年、肉好きが高じて東京・赤坂に店を開いた西岡さん。佐賀、近江などのブランド牛を比較的手頃な価格で提供し、激戦地ながら客足の絶えない人気店にした。新宿歌舞伎町、沖縄・那覇にも店舗を拡大。年商は1億円を超えた。店に立って接客も。新店の準備もあって、忙しく各地を飛び回る日々だ。

 「(牛を)一頭買いして仕入れ値を抑えているから、リーズナブルな値段で提供できるんです。10年間、毎日肉を見ていると、いろいろと覚えます。楽しくやらせてもらってますよ」

 だが、初めから順調だったわけではなかった。苦肉の策としてランチの弁当作りを始めた。深夜の営業終了後、店でわずかな仮眠を取って早朝から肉を焼いた。

 「企業やテレビ局からの注文もいただいていました。1個4~5000円の物を何百個と注文される時もあってありがたかったですが、テレビ局は放送に合わせて夜中の配達だったり時間が不規則で。店をやりながらだと寝る時間がなかった。料理人が救急車で運ばれたり、僕も体を壊しそうになったので2年ぐらいでやめました。でも、弁当を食べた方が来てくれるようになって店が軌道に乗り始めた」

 家族に助けられた。

 「娘、息子も夜中の2時、3時まで弁当作りを手伝ってくれましてね。特に嫁さんには頭が上がりません。最初は『野球しかやったことないのに焼き肉屋なんて大丈夫?』と心配されましたが、感謝しています」

 ただ、人手不足は飲食業界でも深刻。経営は好調にもかかわらず、赤坂店は一時休業を余儀なくされている。人繰りさえつけば、さらに拡大展開を考えている。

 「赤坂も沖縄も、70歳を超えた方がバクバク肉を食べている。ちょっと昔とは変わってきてますね。これからもっと肉を食べる人は増える。(野球人のセカンドキャリアとして)焼き肉屋は面白いと思いますよ。飲食店としては簡単な方。真面目にやっていれば、潰れるところは少ない。(志望者に)アドバイスができるように、もっと僕も頑張ろうと思いますね」

 田辺高から1979年ドラフト外で西武に入団。拍子抜けした1年目だった。

 「18歳で入った時、根本監督の下にいたのが、野村(克也)さん、土井(正博)さん、田淵(幸一)さん、東尾(修)さん、大田(卓司)さんら。そうそうたるメンバーでしたが、キャンプでアップのランニングをやると半分がついてこない。プロってこんなんなの?と思いましたね(苦笑)」

 年が近い仲間と切磋琢磨(せっさたくま)した。

 「支配下が70人で、僕が69番、秋山(80年入団)が71番、伊東(81年練習生)が76番。『俺ら、いらない選手だな。早く若い番号になりたいな』と言い合ってました。1軍に上がる近道は『足と守備を磨くこと』と教えてくれたのが82年に監督になられた広岡さん。守備固めでも出られれば、打席が回ってきたり、チャンスがもらえますから」

 低迷していたチームが広岡イズムで生まれ変わった。

 「広岡さんの野球は高校野球のようでした。打撃は二の次。徹底的に守備をやった。守備、走塁が完璧にできる選手は打撃も絶対に良くなるという考えでした」

 左腕に強い強肩、俊足外野手として3年目に頭角を現し、86年にはゴールデン・グラブ賞を獲得。アキレスけん断裂から復帰した89年オフ、鹿取(現巨人GM)とのトレードで巨人に移籍した。

 「88年にアキレスけんを切って、野球人生は終わったと一度諦めました。当時、それから復帰した人はいなかったし、まして僕は“足”と“肩”の選手でしたから。翌年の復帰前、巨人の近藤(昭仁ヘッドコーチ)さんから電話で『足はどうなんだ』と聞かれて思わず『大丈夫です』と言っちゃった。『じゃあ、うちが獲りに行くかも』と言われて、オフに本当にトレードが決まった」

 藤田監督の下でよみがえる。

 「初めて藤田監督にお会いした時、『昔のイメージで野球をやろうと思わなくていい。今できる精いっぱいのことをやれ』と言われたんです。それですごく気が楽になった。吉村も大けが(左膝じん帯断裂)をした後で。監督は僕と吉村を呼んで『お前たち、2人で一人前でいいからな。2人でレフトを1年間守れ』と。救われた気がしました。あの言葉のおかげで、今、別の世界で頑張れているのかなとも思います。『今できることを精いっぱい』と」

 引退を決めたのも藤田監督の言葉によって。

 「ロッテにいた95年のシーズン終盤、GMをやられていた広岡さんに『引退してコーチになれ』と言われました。あと8試合で通算1000試合出場。現役を続けたかった。藤田さんに相談すると『1000試合がなんなんだ。何人にコーチの声がかかると思う。受けろ』と一喝されて(苦笑)。今では感謝しています。オヤジのような存在でした」

 現役生活16年。西武で6度、巨人で2度のリーグ優勝、計6度の日本一を味わった。やはり古巣の様子は気になる。

 「西武は強いですね。辻さんは自分がいた頃の野球をしようとしてますよね。打撃が目立ちますが、守備、走塁をしっかりしたからじゃないかと。広岡さんの野球ですね。選手が楽しそうにやってるし、次に自分がやることも分かっている。1年のうちに何試合か神懸かり的な試合がないと優勝するのは難しいですが、8点差を逆転して勝ったり、優勝するんじゃないかなと思って見ています」

 巨人については。

 「巨人が寂しいのは、機動力を使える選手があまりいないこと。今の時代、縦の変化を使えない投手は通用しませんが、ワンバウンドになりやすい、落ちる球を簡単に投げさせないためにも機動力が必要。走られたくないから球種も絞りやすくなる。盗塁だけじゃなく、相手に考えさせるためにも機動力は大事です。調子はいい感じですが、この先、神懸かり的な勝利が出てくれば。由伸(監督)に優勝してもらいたいですね」(取材・田中 俊光)

 ◆西岡 良洋(にしおか・よしひろ)1961年6月28日、大阪・堺市生まれ。56歳。和歌山・田辺高から79年ドラフト外で西武入団。野村克也氏から「日本一の肩」と評された強肩と俊足、左腕キラーぶりを武器に活躍。85年、阪神との日本シリーズ第4戦の9回、左腕・福間から決勝2ランを放つ。86年、規定打席未到達ながらゴールデン・グラブ賞を受賞。88年、アキレスけん断裂。89年オフ、巨人移籍。95年、ロッテ移籍。同年限りで引退。96年ロッテ、97~2001年西武、02~03年巨人、04~05年横浜、06~08年に巨人で打撃、守備、走塁コーチを務めた。

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