サンプラザ中野くん「“解体”するなら俺が“買いたい”」…中野サンプラザ再整備計画に区民猛反発

スポーツ報知
中野区の田中区長が解体の方針を表明した中野サンプラザ。区民からは反対の声が噴出している

 音楽ファンの聖地として愛されてきた東京・中野区の「中野サンプラザ」(ホール収容2222人)がなくなる? 同区の田中大輔区長(66)が今年4月、2024年をメドに解体し、跡地に最大1万人収容のアリーナを建設する方針を表明した。だが、地元住民からは解体反対の声が噴出。中野区長選(6月3日告示、10日投票、11日開票)では、解体の是非が争点となる。また、ミュージシャンのサンプラザ中野くんは、緊急メッセージを寄せた。(甲斐 毅彦)

 「中野サンプラザのDNAを新アリーナに引き継ぎ、区のシンボル的なランドマークにしたい」。田中区長は、サンプラザ解体後に1万人収容のアリーナを建設し、バスケットボールなどのプロスポーツチームを誘致する構想を明らかにした。掲げているのは「次世代に向けた中野の街のブランド」の構築だ。

 中野区のホームページにはすでに、サンプラザ解体後の駅北口の近未来予想図が掲載されている。サンプラザと隣接する区役所がある位置に描かれているのは、高層オフィスビルと円形のアリーナだ。昨年12月から建設事業者や東京商工会議所などが入った「中野駅新北口駅前エリアアリーナ整備官民連携協議会」がスポーツ庁の委託事業としてアリーナ構想をまとめたという。

 しかし、計画を知った区民からは「いつの間に決めたんだ」「区民の声が全く反映されていない」「サンプラザを残せ」と反対の声が噴出している。サブカルチャーの発信地としてアイドルグッズなども売っている中野ブロードウェイの商店街振興組合理事長の青木武さん(69)もその一人だ。

 「サンプラザとブロードウェイは一心同体です。相互依存する形で音楽ファンとサブカルチャーファンにとって魅力がある商圏を作ってきた。サンプラザができてから45年間培ってきた区民の財産ですよ。これは簡単に勝ち取れるもんじゃない。必要な改修には賛成だが、壊す必要性を全く感じない」と切実に訴えている。

 中野北口昭和新道商店街会長の長谷部智明さん(56)も「中野のランドマーク・サンプラザは、日本にとっての富士山、台東区にとっての雷門と同じです」と力説する。「今でも中学校の同窓会はサンプラザで行います。中野区を離れた人にとっても故郷のような所なんです。プロジェクトには中野への愛情が感じられない。何とか阻止してもらいたい」

 サンプラザはさまざまなジャンルの音楽アーティストとファンを結んできた場でもある。サンプラザ関係者によると、シンガー・ソングライターの山下達郎はサンプラザの音響を高く評価し、数えきれぬほどのライブを行ってきた。「観客の体温を感じることができる」のがお気に入りの理由だという。

 都内には新宿コマ劇場、青山劇場、渋谷公会堂など、サンプラザと同規模の2000人前後のホールがたくさんあったが、ここ数年で老朽化などを理由に相次いで閉鎖、建て替えに追い込まれている。

 サンプラザは都の耐震基準をクリアしているが、区の駅周辺計画担当者は「隣接する区役所も築50年を迎え、再開発に向けて建物の更新を考える時期に来ている」と説明。サンプラザを惜しむ声は区にも届いているが「2004年に厚労省から取得した時から再開発が前提だった。急に浮上したわけではないのですが…」と戸惑っている。

 6月10日の区長選では、5選を目指す現職の田中区長以外の立候補予定者たちからは再開発計画については見直し論・慎重論が挙がっている。サンプラザの命運は、区長選に委ねられている。

 ◆サンプラザ中野くんの緊急メッセージ
 「解体するなら、俺が買いたい」というほど愛着があります。人生初のコンサート体験が中野サンプラザ。1976年の「チューリップ」でした。アマチュアバンドコンテスト(East&West80.81)の決勝も中野サンプラザでした。芸名はこの時に決まりました。
 思い出いっぱいの白い三角ビルは渋谷にある所属事務所の窓からもすぐに見つけられます。城西地区のランドマークとして立派に機能しています。住民の方々にも灯台のように、あるいは巨大な大仏様のように安心感を与えているのだろうと思います。しかし駅前の一等地に大仏様が鎮座しているというのも悩ましいところ。
 街づくりを考える皆さまの気持ちもよくわかります。
 そこで折衷のご提案。今よりも巨大な白い三角ビルを建てる。あるいは今計画されているアリーナ施設を亀に例えるならば、その背中に小型化された白い三角ビルを乗せていただくというのはいかがでしょうか。名称も変わらないように希望いたします。
 最後に中野区の皆さまの幸せをお祈りします。(ミュージシャン)

 ◆中野サンプラザ 東京・中野区にある宿泊・結婚式場、コンサート・イベント会場(2222席)などの複合施設。1973年6月1日に開館。旧労働省所管の雇用促進事業団が勤労者福祉施設として建設され、当初の正式名称は全国勤労青少年会館。愛称を一般公募し「サンプラザ」に。運営は黒字だったが、勤労者福祉施設廃止の流れに伴い、2004年に中野区と民間企業との共同出資による第3セクター「株式会社まちづくり中野21」に52億9987万円で売却された。

 ◆中野区長選の田中氏以外の立候補予定者の主張(順不同、敬称略)

 ▼市川稔(63)=中野区議会議員・無所属「サンプラザの解体計画は、区民不在で進められてきた。まだ議論が尽くされていない。2年間パブリックコメント(区民からの意見・情報を求める手続き)を実施して検証したい。私は中野生まれ、中野育ち」

 ▼酒井直人(46)=元中野区職員=「まずは立ち止まって区民の声を聞く。サンプラザはどこかで更新しなくてはいけないとは思うが、現在の2200人規模のホールは引く手あまただ。1万人収容アリーナを作れば多額の負債がのしかかる恐れがある。必要かどうかは検証委員会を作る」

 ▼吉田康一郎(51)=元都議=「アリーナ建設は、私が知る範囲では区民が支持・賛成しているとはあまり感じない。現在のサンプラザに思い入れがあり、存続を求める声も強い。ただし、老朽化はするもので永久に残すのは無理だろう。再開発するにあたってはシンボル性や象徴性、名前を含めてブランドイメージを残すことが必要ではないか」

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