【#平成】〈6〉売れ残りをヒントに10億円売り上げたルーズソックス

2018年6月16日11時0分  スポーツ報知
  • 長さや色などさまざまな種類が作られたルーズソックス
  • ルーズソックスにいろいろな工夫を凝らし、年間10億円を売り上げた鴇田章さん
  • 平成6年の主な出来事

 天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第6回は平成6年(1994年)

 1990年代、女子高生の間で爆発的に流行した「ルーズソックス」。平成6年(94年)は渋谷から全国へと拡大した時期と重なる。96年の「新語・流行語大賞」に選ばれた際、仕掛け人として受賞したのがアンティークストッキング収集研究家の鴇田(ときた)章さん(77)=長野県上田市在住=だ。鴇田さんは大手靴下メーカーから独立後、輸入した売れ残りからブームを生み、約10億円を売り上げた。ヒットの舞台裏は―。(久保 阿礼)

 「流行は女子中高生が作るもの。ルーズソックスは渋谷から始まったのです」。発案者で、仕掛け人となった鴇田さんは語る。

 大学卒業後、約20年勤めた大手靴下メーカー「厚木ナイロン」(現・アツギ)を退社。「新しいことに挑戦したい」と82年にレッグウェア企画販売会社「ブロンドール」(東京)を創業した。当時、米国の女性はスニーカーで通勤していたことに目をつけ、「キャリアウーマン」を対象としたスニーカー用ソックスを輸入・販売した。だが、米国製は品質が悪く全く売れなかった。

 山積みの在庫を前に、売り方を変えることにした。国内生産に切り替え、細部にこだわり、糸のほつれなども取り除いた。ソックスがよれよれだったことにちなみ、英語でたるみを意味する「SAG」から「サギンズ」と命名し、89年から渋谷の「マルイ」などで本格的に展開した。

 「働く女性」をターゲットにしたはずだったが、食いついたのは女子高生だった。彼女たちがオシャレを競えるのは、ソックス、マフラーなど制服以外のアイテム。当時はブランド製を持つのが主流だったが、これまでにない形のソックスは、人気になった。

 オリジナリティーを出すために、ソックスのゴムを抜くなどのカスタマイズ法が考案されるなどした。女子高生は「よれよれ」は「ルーズ」だからと「ルーズソックス」と呼び始めた。

 大人から見たら「よれよれ」は「だらしない」が、少女たちには「カワイイ」と映る。女子高生が作ったムーブメントは北関東へ拡大し、全国へと波及していく。

 競合他社もあったが、鴇田さんは細かなニーズをくみ取り、丈は35センチから120センチまで、白のほか紺や黒など35種類を展開した。ピーク時の売上高は10億円に達し、96年の「新語・流行語大賞」では発案者として表彰された。

 ヒットを生み出す感性は会社員時代に養った。75年、仕事で訪れた広島市内。鴇田さんはタクシーの窓から赤い帽子をかぶる町の人々を目にした。「野球の知識はほとんどなかったんですが、赤い帽子をかぶった運転手さんに『町で運動会でもあるんですか?』と聞くと、車は急停車しましてね。『お客さんは巨人ファンですか? ここではみんな、カープを応援しているんです』と。これは売れると思い、すぐに球団事務所に行って交渉しました」

 球団担当者に商品化をお願いすると、二つ返事だった。「うちは最下位だから。少年野球チームに毎年100足くらい下さい。それなら5年間、契約します」と快諾された。75年は古葉竹織監督の指揮の下、球団初のリーグ優勝。5000足の「カープソックス」はすぐになくなった。コラボ商品は売れると確信し、「全球団をそろえる」と決断。「1万足売れたらヒット」とされる中、12球団ソックスは約100万足を売り、社内で表彰された。

 流行は膨張し、収束していくのが宿命だ。12球団ソックスも担当者が変わり、数年で販売終了に。ルーズソックスも流行の変化とともに下火になった。

 鴇田さんは2008年に会社経営から退き、アンティークソックスの研究をしながら「ヒットの原則」についての講演も行う。

 「映画『ジョーズ』のソックスを作った時は1足も売れなくてやけ酒を飲んだこともあります。失敗しても売り方を変えたり工夫をする。その繰り返しが大事ですね」

 ◆ギャル御用達雑誌「egg」が大ブレイク

 80年代後半の渋谷は、カジュアルが人気だった時代。デニムに白いシャツなどシンプルなファッションは「渋カジ」と呼ばれた。90年代に入ると、流行はストリート系に。日焼けの「ガングロ」に、派手なメイクをした女子高生は渋谷センター街を中心に広がった。ギャル系女子の“御用達”雑誌「egg(エッグ)」(95年創刊)では、読者モデルがそのまま芸能界にデビューしたケースもあった。
 後に編集長も務めた根津一也さん(43)は「女子高生ブームと重なって雑誌もブレイクしました。エッグの名前を使った偽スカウトも出たりして」。
 発行部数は最大で約50万部。2度の休刊を経て4月からは「LOVE ggg(ラブジー)」を新たに発刊し、ネットでも展開する。編集長の赤荻瞳さん(21)は「今はモデルの面接もネットでやってます。今後はネットショッピングもできれば」と話した。

  • 当時の「egg」を手にする根津元編集長(左)とウェブ版編集長の赤荻さん

    当時の「egg」を手にする根津元編集長(左)とウェブ版編集長の赤荻さん

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