【#平成】〈10〉哀川翔、ホコ天には「無限の可能性があった」

スポーツ報知
1998年6月28日、ホコ天“最後の日”は多くの若者でにぎわった

 天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第10回は平成10年(1998年)。

 多くの人であふれる東京・渋谷区の表参道はかつて、日曜・休日は隣の代々木公園に挟まれた車道と併せて封鎖され、歩行者が自由に歩くことのできる歩行者天国、通称「ホコ天」として知られていた。若者たちが思い思いのパフォーマンスを披露し、観客が詰めかけたが、騒音やゴミなどの問題で平成10年に中止されてしまう。ホコ天の隆盛期に活躍し、そこから見いだされ「一世風靡(ふうび)セピア」としてデビューした俳優・哀川翔(57)が思い出を語った。(高柳 哲人)

 車道の封鎖が終了する午後6時になろうとしているのに、気温は30度を下らない。梅雨の曇り空の下、蒸し暑さを気にすることなく、派手な衣装で男女が踊り、近くではロックバンドがギターをかき鳴らす。「ホコ天」の試験的中止が決まり、実質的な「ラストデー」となった98年6月28日。名残を惜しむかのように、多くの若者たちが訪れた。

 1977年に始まった表参道のホコ天は、買い物や散策が本来の目的。80年に自転車の走行が禁止された代々木側は、交通公害の社会問題化が理由だった。その場所にエネルギーが有り余っている若者たちが目を付けた。

 最初にパフォーマンスを始めたのは、「竹の子族」「ローラー族」【注】と呼ばれるグループ。80年代半ばには、ダンスや寸劇のパフォーマンスが増えていく。さらに、その後にはロックバンドが中心となった。移り変わりとともに、新たなファッションや音楽が生まれ、ホコ天は発信地として、「若者が目指す場所」となった。

 その“ホコ天出身”で、最も成功したグループの一つが一世風靡セピアだ。NHKホールの近くでパフォーマンスをしていた「劇男一世風靡」の派生ユニット。哀川以外にも俳優の柳葉敏郎(57)、小木茂光(56)らが所属していたことで知られる。84年に「前略、道の上より」でデビューし、まさに「一世を風靡」した。

 哀川が「ホコ天デビュー」したのは19歳の6月。高校を卒業して上京後、わずか2か月のことだった。当初はローラー族だったが「集まっている観客の人たちに見せるというよりも、自分たちが踊るのがひたすら楽しいという感じだった。『勝手に見ればいいんじゃない』と思っていましたね」。そんな時、一世風靡のメンバーに誘われた。

 ホコ天には数え切れないほどのグループがいたが、場所取りでモメるようなことはなかった。「どのグループがどの場所を使うかは暗黙の了解になっていて、“新参者”は空いている場所を探す。何より『毎週、同じ場所で踊る』ということが自分たちにとっては大事でした」。ある台風の日、「さすがに今日は行くのをやめようか?」と仲間と相談したものの「念のため」といつもの場所へ行くと、お客さんが5人いるのを見て「来てよかった」と思ったことを今でも覚えているという。

 哀川は「オレが言うのも何だけど、絶対にあの時間は無駄にはなっていないと思うよ」と断言する。「当時、ホコ天にいたのは金も地位も名誉もなくて、あるのは時間だけという人たちばかり。その時間をどう工夫して使うかということを、みんな究めようとしていた。結果的にそれが成功しなかったとしても、次の人生につながっているんじゃないかな」

 自身が芸能界入りするきっかけの場所となったホコ天がなくなるのを聞いた時、哀川は「自分もそうだったけれど、若い人たちがにこやかに生き生きとできる場所がなくなるなんて」と寂しさを隠せなかったという。「誰でも使える空間だったけれど、使い方によっては無限の可能性があった。残念でしたね」と振り返った。

 【注】「竹の子族」はグループごとに統一された派手な衣装を身に着け、ディスコサウンドに合わせてダンスをしていた集団。原宿の「ブティック竹の子」で衣装を購入していたのが名前の由来。一方、「ローラー族」は男性は革ジャンにリーゼント、女性はポニーテールに大きなリボンをつけるなどのスタイルでロカビリー音楽に合わせて踊っていた。

 ◆渋谷区長、東京五輪で復活狙う

 中止からすでに20年の時が経過したホコ天を、復活させる動きがある。その旗振りをしようとしているのが、長谷部健渋谷区長(46)だ。

 長谷部氏は渋谷区生まれ、渋谷区育ち。小学生の時には地方から来た竹の子族を道案内し、クレープをごちそうになったこともあった。「ホコ天はあって当たり前のものでした。だから、その存在価値や良さが分かるようになったのは大人になってからでしたね」。当時を分析し、ホコ天とその周囲の街が持つバイタリティーや発信力、多様性を感じた。

 復活に向け、チャンスの時期が2年後に来る。「2020年は東京五輪・パラリンピックが開催されますし、明治神宮の創建100年にあたるんです。名前どおり、表参道を人々が歩く『参道』とすべく、何ができるかを議論していきたい」と話した。

 ◆渋谷区の歩行者天国 代々木公園を貫く長さ0.9キロの「放射23号線」と、約1.1キロの表参道を毎週日曜・祝日に歩行者専用道路とし、自動車の乗り入れを禁止した。代々木側は当初は1971年に主にサイクリング用に開放され、9年後に歩行者天国に変更されている。次第に騒音被害やゴミの投棄、交通渋滞などが問題に。住民や地元町会からは廃止の要望が上がった。98年の表参道の試験的中止が、事実上の廃止とされる。

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