【#平成】〈19〉献金か袖の下か「どげんかせんといかん」そのまんま東の激動知事1年目

スポーツ報知
07年の新語・流行語大賞で顔を合わせた東国原氏(左)と石川遼

 天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第19回は平成19年(2007年)。

 与党自民党が参院選で敗れ、安倍晋三首相が体調不良を理由に辞任するなど、政権交代の足音が聞こえ始めた平成19年。1月の宮崎県知事選で当選したタレントのそのまんま東(本名・東国原英夫、当時49歳)は一躍、“時の人”となった。選挙戦で多用した宮崎弁の「どげんかせんと(どうにかしかないと)いかん」は新語・流行語大賞を受賞。師匠のビートたけしが「(80年代の)漫才ブームのようだ」と評した。東国原氏が明かす「激動の1年」の裏には、権力者にすり寄る「甘い誘惑」と「ハニカミ王子」との出会いがあった。(久保 阿礼)

 「あなたが知事になったわけだから、今後はざっくばらんに話しましょうか。“裏”がいいですか、“表”がいいですか。それとも、秘書に渡しましょうか?」。東国原氏は、相手陣営を応援した業者から当選直後に言われたその言葉を今でもはっきり覚えている。

 前知事が官製談合事件で逮捕されたのを受けて、2007年1月21日に投開票された知事選。「そのまんま東」の芸名で無所属で立候補した東国原氏は約26万6000票を獲得し、自民党などの支援を受けた2人の主要候補を退けた。「たけしを選挙に呼んだら勝てるでしょ?」「泡沫(ほうまつ)候補」「売名行為」―。選挙戦前は有権者から面と向かって言われ、怪文書も飛び交う激しい選挙戦だった。

 知事は自治体のトップとして予算などさまざまな権限を握る。宮崎は特に知事に権力が集中していた。県関係者は「在任中、知事のもとには県内の細かなスキャンダルまであらゆる情報が入ってくる」と明かす。これまでの知事は執務室の前には昼休みになると、行列ができたという。建設会社の作業着姿の社員、背広を着た幹部。窓口となるはずの担当部局を飛び越え、知事に直接、公共工事を陳情していた。

 東国原氏にも「甘い誘惑」があった。それが冒頭の言葉だ。「裏」は現金や商品券などの「袖の下」で、「表」とは政治献金を指す。秘書の口座などに現金を給与として振り込む形も提案された。

 東国原氏は談合を排除するとして、入札制度改革を公約に掲げて当選した。「選挙が終わったら、(業者らが)すごい勢いで手のひらを返してきて、人間不信になりましたね」。業者が知事を取り込み、公共工事などの見返りを求めていることはすぐに理解できた。当時、政務秘書や後援会関係者だけで10人以上を抱え、事務所の維持費などがあり、出費もかさんだ。「これが、知事になるということか」。以降、利害関係のある地元業者とは密室で会わないと決めた。

 法被を着てテレビなどに出演することで、宮崎の知名度は急上昇。知事のキャラクターパネルが完成し、県庁は旅行ツアーに組み込まれ、観光地化した。マンゴー、地鶏などの県産品も評判となり、1960年代に新婚旅行ブームが巻き起こって以来の全国的な注目を集めた。隣の熊本県の蒲島郁夫知事(当時)から「あなたは、(ゆるキャラ)くまモンの原形です。実は東国原さんのことを研究させてもらってました」と言われたこともあった。

 知事就任以降、師匠のたけしの支えも受けながらタレントとしての発信力をフルに生かして支持率は80~90%を維持した。「『3日、3か月、3年の法則』というのがあります。3年持ったら、10年持ちます。これが芸能界の法則です。宮崎を一発屋に終わらせるわけにはいかなかったので、いろいろ発信する方法をいつも考えていました」

 周囲の色眼鏡や誘惑とも闘いながら、官僚や議員出身者の知事が多かった地方自治のあり方に一石を投じた。11年1月に任期4年を満了し1期で退任したが、中でも知事デビュー年は特別だったと振り返る。「1年目は体感的には3日ぐらい。いろいろなことがめまぐるしく動いていって…。激動でしたよね」

 ◆石川遼のプロ転向を後押し

 就任から約半年が過ぎたある夏の日曜日。一人の少年とその家族がふらりと県庁を訪ねてきた。宮崎で合宿していたゴルファーの石川遼だった。当時、アマだった石川は東京・杉並学院高入学後の5月、ツアー初出場した「マンシングウェアKSBカップ」で優勝。15歳245日、日本ツアー史上最年少の快挙だった。

 「プロになるべきか迷ってます」。初対面だった石川から告げられた言葉に、即答した。「絶対にプロの世界で勝負すべきでしょう」。第一線で揉(も)まれた方が強くなる、と確信したからだった。サインをして一緒に写真を撮影した。「高校生でスイングが完成されていた。まさか賞金王になるとは…」

 石川は「ハニカミ王子」の愛称で人気爆発し、2人はそろってその年の新語・流行語大賞を受賞。暮れの表彰式会場で再び顔を合わせ、言葉を交わした。翌年1月、石川はプロ転向を表明した。09年には賞金王になった。

 ◆東国原 英夫(ひがしこくばる・ひでお)1957年9月16日、宮崎県都城市生まれ。61歳。80年3月、専大経済学部卒業。82年にビートたけしの一番弟子となり「そのまんま東」として活躍。00年4月、早大第二文学部入学、04年3月卒業。同4月に早大政経学部入学(06年3月、退学)。07年1月、宮崎県知事に就任し、11年1月に任期満了で退任。同4月の都知事選に出馬したが、現職の石原慎太郎氏に敗れ、2位。12年12月の衆院選で日本維新の会から出馬し当選。13年12月、議員辞職。14年9月に再々婚。趣味はジョギング。

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