イチロー、少年時代からこだわり「買う時はいつも特注」「バットは篠塚、グラブは牛島モデル」地元のスポーツ用品店経営者が語る

スポーツ報知

 米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)の引退表明から一夜明けた22日、イチローが少年時代を過ごした愛知県豊山町でも驚きの声が広がった。スポーツ報知では、イチゆかりの「聖地」を訪問。幼少期の思い出などを語ってもらった。

 実家近くでスポーツ用品店「プラザオガワ」を経営する河井政三さん(76)は「小学校高学年から中学生のころまで、ずっとうちで野球用品を買っていましたよ」と明かす。木製バットは元巨人の篠塚モデルがお気に入り。「彼は中日ファンだったんですが、ライバル球団の篠塚さんが好きで。それだけ憧れを持っていたと思いますよ」と話す。グラブは当時中日の投手だった牛島和彦氏モデル。いつも黒の色をチョイスしていたという。当時は父とともに訪れ、熱心に用具を選んでいた。「本当に普通の野球小僧って感じ。いつも楽しそうで目を輝かせていた」と振り返る。

 一方で、他の子とは違う一面もあった。「用具を手にとっては、自分であれやこれや改善点も考えていた。それで、買うときはいつも特注なんですよ」。そのため、篠塚モデルのバットは1万円以上、牛島モデルのグラブは2万円以上と通常より値段が倍近くアップ。用具へのこだわりは、当時から人一倍だったようだ。

 河井さんは現在、NPO法人「ジュニア・ベースボール・サポート豊山」の副理事長を務めている。1996年から開催されている学童野球大会「イチロー杯」に尽力。「イチローさんは大会長として毎年、表彰式に欠かさず来てくれている。今年の12月、また顔を見せてくれるのが楽しみで仕方ない」と顔をほころばせた。

 イチロー選手が少年時代に通った同町のバッティングセンター「空港バッティング」を経営する前田岩夫さん(79)は「引退はそろそろかなと思っていた。本当にご苦労さまと言いたい」としみじみ。引退が発表された21日夜からこの日まで10数社におよぶ報道陣が断続的に殺到、その対応に追われた。

 このバッティングセンターは、イチローが小学校3年生から中学卒業まで父とともに毎晩のように通ったことで知られる「聖地」。当初から一貫して木のバットを使い、120キロが出る「8番ボックス」で打撃力を磨いた。

 前田社長は「熱心に教える父の言うことをよく聞く、おとなしい良い子だった」と述懐。「あの時は同じように熱心に通う親子は多かったんですけど、ミート力は抜群だった」と振り返る。プロ入り後も、仲間とともに突然訪ねることもあり「オフの夜遅くに来て、懐かしそうに打ってましたね」。メジャー入り以降は回数は減ったが、それでもときおりフラッと訪れることはあったという。

 イチロー引退の報を受け、「聖地」に訪れる子どもたちもいた。愛知県犬山市の小学6年生・橋本佑久さん(11)は「全盛期の姿は知らないんですけど、イチロー杯で勝ち進んで本人に会えるのが毎年楽しみでした。50歳まで現役だと思っていただけに残念です」と苦笑い。8番ボックスは球が速すぎると、隣の100キロの7番ボックスで打ち込んでいた。

 また、岩手県滝沢市に住む小学生・藤澤岳真さん(11)は、親の帰省で名古屋の空港に着き、その足で直接バッティングセンターに来た。マリナーズの帽子をかぶりながら「すごい記録の数々、打つ姿の美しさはずっと覚えていると思います」とレジェンドを称賛。「朝に引退を知って、ビックリしました。ここに来ることができて良かったです」と笑顔を見せていた。

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