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沖縄の名将・栽監督の長男、赤嶺監督が福岡・自由ケ丘で異例3度目の監督就任

2017年11月22日10時45分  スポーツ報知
  • 3度目の監督就任となった赤嶺氏
  • 沖縄の名将・栽弘義氏

 福岡の強豪校・自由ケ丘高野球部の監督が10月に交代した。2013年夏に同校を甲子園出場に導いた赤嶺琢氏(52)が約2年半ぶりに監督に復帰した。赤嶺監督は、甲子園で2度の準優勝を経験した沖縄の名将・裁弘義監督の長男で、同校では3度目の監督就任。同一校では異例の“再々登板”となる。

 同校の事務長代理を務めている赤嶺監督は「丸々、野球からは離れていたので、(野球部が)どういう状況か分からなかったのですが、自分も選手もお互いにゼロの状態から、真っ白な新鮮な状態からのスタートです」と野球部再建に意欲を見せている。

 赤嶺監督は沖縄水産から九州共立大に進学。卒業後は九州共立大のコーチに就任。九州共立大と自由ケ丘が同じ学校法人であることで、2004年に自由ケ丘の監督に就任したが、2年半で退任。末次秀樹氏(現・真颯館監督)に監督の座を譲ったが、末次氏の退任に伴い、13年3月に監督に復帰。同年夏の甲子園出場を果たし、初戦で準優勝した延岡学園に敗退した。

 翌年、神村学園の監督を務めていた山本常夫氏が副部長に就任。赤嶺監督、山本副部長のコンビで指導したが、15年3月に山本氏が監督に就任し、2度目の退任となり、事務職員に専念していた。

 「もう、高校野球とは縁がないと思っていた」(赤嶺監督)。だが、山本氏が17年4月に愛知・日本福祉大付に転任。西尾竜馬部長が後任の監督に就任も、今夏は県3回戦で敗退、秋も2回戦(初戦)敗退を喫し、赤嶺氏の“再々登板”が決まった。

 久々の現場復帰で対面した選手たちに気持ちが高ぶった。「潜在能力がある選手も多いと思うので、力を引き出せるかだと思っています」。指導方針も明確だ。「あいさつであったり礼儀であったり、まずは高校生らしく。野球人としてよりも人間としての生き方を大事に考えています」。就任直後の北九州地区の1年生大会では優勝を果たした。

 偉大な父の存在も大きい。高校時代は父が監督を務める沖縄水産で1年からレギュラーを務めたが、甲子園出場は果たせなかった。同時期、阪神、ロッテで活躍した左腕・仲田幸司を擁する興南が3年連続で甲子園出場した。「一番殴られた人間です。1年夏はベスト8、2年夏はベスト4、3年夏は準優勝で、卒業した翌年から5年連続で甲子園に出場しましたよ」。

 最初の監督就任時は練習試合で父親の胸を借りた。「3度対戦して1回も勝てませんでした。(父から)学んだのは何事にも基本は大事だと言うことです」。2度目の監督時代には甲子園出場を果たし、改めて父親の偉大さを実感した。「甲子園に出るのも難しいのに、29勝もしていますからね」。

 夢は甲子園出場と明治神宮大会出場だ。「神宮大会は高校と大学が同時に出場できる唯一の大会。そこで大学とアベック出場したい。学園の夢ですね」。九州共立大コーチ時代の2000年には、仲里清監督が謹慎のため、代理監督としてチームを4強に導いたこともある。九州共立大が6年ぶりに出場した今年の大会も“日帰り”で観戦に訪れ、2度目の監督時代の教え子が進学し「KYORITSU」のユニホームで躍動する姿を見守った。

 大学とのパイプを生かした強化策にも乗り出した。大学と高校が隣接している利点を生かし、大学の下級生との練習試合など実戦を増やす意向だ。さらにコーチとして16年間、師事した仲里監督は2014年に大学の監督を勇退し名誉監督となっている。新垣渚、馬原孝浩(ともに元ソフトバンク)、大瀬良大地(現広島)らを育てた“名伯楽”に投手陣の指導を依頼している。「今は“監督”が投手コーチですよ。当時とは立場が逆転しました」と赤嶺監督は笑った。

 福岡は強豪校がひしめく激戦区だが気負いはない。「3度目はないなと思っていたけれど、チャンスをもう1回もらえた。“3度目の正直”になればいいなと思っています。今は、生徒たちが日に日に変わっていく姿を見るのが楽しみです」。裁監督がそうであったように、仲里監督がそうであったように、熱く燃えたぎる闘志を内に秘めて、赤嶺監督は遠くを見つめ優しく笑った。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

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