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星野さんが明かした「落合1対4トレード」の裏側…名脚本家でもあった闘将

2018年1月6日16時32分  スポーツ報知
  • 1986年12月26日付の報知新聞(大阪版)

 「衝撃のトレード? オレに言わせれば、そんなことはない。みんな世間が狭いんだよ。トレードというものを各球団が怖がりすぎている。同一リーグに出して、働いてやられたら、世間から『なんで出したんだ』と言われるからな。例えば巨人でも、阿部や由伸が元気な時に同じポジションだった選手は試合に出られないだろ。その若者を生かしてやるという発想だよ」

 2016年の師走、星野仙一さんを取材した。テーマは「ロッテ・落合と中日・牛島、上川、平沼、桑田の1対4トレードから30年」。虎ノ門のホテルオークラのスコティッシュバー。闘将はカツサンドをほおばりながら「ちょうどあれから30年だなあ」と回想し、1986年師走の思い出を語ってくれた。

 今ならトレードはGMなど編成主導で行われるのが常識だ。だが、この「1対4」は違った。中日監督に就任直後、39歳の青年指揮官が自らオーナーに直談判して、成立にこぎつけた。2年連続3冠王に輝きながらも、ロッテ球団と対立していた落合の移籍先としてささやかれたのは、巨人だった。闘将はこの流れに危機感を募らせていた。「もう30年も経つんだから、時効かな」とつぶやき、続けた。

 「ロッテは篠塚を欲しかった。でも巨人は『篠塚は出せない』と。それから(候補を)いろいろ出したけど、ロッテから見ればいい名前がない。それでご破算となった。『でも、それだけオーナー同士が交渉しているということは、最後は成立するなあ』と思ったんだ。『どちらかが折れるなあ』と」

 「オレは監督1年目で、落合が巨人の4番に座ったら、ジャイアンツの打線はどうなるんだろうと。各5球団の戦力分析するじゃない。その時に、あの時は篠塚、駒田、吉村、辰徳、中畑、クロマティがいた。そこに落合が加わる。勝てるか?って。そうでなくてもピッチャーがそろっているしさ。V9より、上だよ。どうしようかなあと考えたら、これは獲るしかない。ヨソが獲らないんだから。ウチが獲るしかない」

 ロッテ側からのリクエストは「牛島和彦」。これは想定外だったという。牛島は星野さんが最もかわいがっていた後輩だった。「小松かな、都かな、杉本かなと。牛島は全くアタマになかった。予想が外れちゃったんだ。困ったなあと思って、悩んでね…」

 クリスマスイブの夜に牛島を自宅に呼び出し、説得した。クリスマスにトレードは成立し、発表された。星野さんは牛島の退団会見を報道陣の最後列で見守った。

 「『人間・星野』ならできなかった。でも、これは仕事なんだと、自分にものすごく言い聞かせた。『監督なんだ、俺は。ここで情を絡めたら、俺の監督人生はおかしくなってしまう』と」

 その結果、球史は大きく変わった。

 「落合が巨人に入ったら、中日の監督になることもないし、その後にGMをやることもなかった。そういうことですよ。牛島も大島も監督になった。オレが出したヤツは結構、監督になっているんだ」

 「トレードに出されたからって、同じ野球をやるんだ。人間は感情の動物だから、出した、出されたと思うかもしれないけれど、大好きな野球をやることには変わりないんだ。だからトレードはどんどん、やればいい。環境を変えてやればいいんだ」

 星野さんは球界を動かし、活性化させた名脚本家でもあった。このような「シナリオ」を描き、情熱を持って実行できる野球人は今後、なかなか出てこないことだろう。思い出を語るICレコーダーの声はどこまでも、力強かった。(記者コラム 野球デスク・加藤 弘士)

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