元楽天・山崎隆広さん、東北初の女子硬式野球部初代監督就任 野村イズム伝える

スポーツ報知
部員との集合写真で笑顔の山崎監督(上)

 今春設立された東北初の女子硬式野球部、クラーク記念国際高仙台キャンパスで初代監督を務める元プロ野球・楽天の山崎隆広さん(41)が、未知の世界で奮闘している。NTT西日本時代の05年、大学・社会人ドラフトで野手史上最年長(ドラフト制度後)となる29歳1か月でプロ入り。9位指名は同年の“最下位指名選手”(育成指名除く)。紆余曲折を経験した、諦めない男の人生に迫った。(構成・山田 豊)

 ―東北初の女子硬式野球部監督を1か月以上、指導されて、いかがですか。

 山崎「まだ探っている段階。男子とは違うけれど、想像していたより能力が高いな、という印象です」

 ―監督就任の経緯を。

 山崎「09年に引退後、11年から楽天のジュニアコーチをしていた。昨年6月半ばに(高校と楽天が提携し)お話をいただいて、挑戦してみようと思った」

 ―ジュニアコーチとは。

 山崎「男子の小中学生を教えてました。“習い事”です。主に打撃で、少し教えると明らかに変わる選手もいて、コーチの面白さを知った。14年と16年の監督時代を含め、私が教えた、たくさんの選手が甲子園球児になりました」

 ―静岡商時代は投手でした。

 山崎「夏の県大会は1年の時(92年)が4強。2年が準優勝で、3年は16強でした」

 ―進学した中部大は中退。

 山崎「打者に転向して1年春からレギュラー。でも物足りなくて…。1年なのに4年生にかみついたり。ダメですよね。中退後NTT東海に採用してもらいました。岩瀬仁紀さんは年上(愛知大卒)だが同期。岩瀬さんは打者としてもすごかった」

 ―99年にNTTグループ再編により、NTT西日本へ統合されました。

 山崎「都市対抗で3戦連続本塁打を打って、4か国対抗戦(台湾)で全日本に選ばれたんです。阿部慎之助(巨人)、赤星憲広(元阪神)、渡辺俊介(元ロッテ)ら、後にプロ入りした選手とプレーしたことは自信になりました」

 ―00年シドニー五輪代表候補にもなりました。

 山崎「当時24歳。その年のドラフトにかけていました。25歳を超えたら厳しいと思っていましたから…。でも指名がなくて、翌年と意気込んでいたら春のキャンプで左足首を脱臼骨折。2か月入院で全治1年。25歳も超えたので現実的に厳しいと。長く社会人でプレーしようと切り替えました」

 ―それが05年大学・社会人ドラフトで楽天から9位指名。ドラフト制導入後、野手最年長の29歳1か月でした。

 山崎「楽天が創設されてなければ、プロ野球選手になれていないと思います。05年に新球団の楽天が歴史的な成績(97敗。首位ソフトバンクと51・5ゲーム差)で選手をとらないといけなかった。たまたま。巡り合わせ。でも指名前にお話をいただいた時、正直悩んだ。NTT西日本はしっかり勤めれば安泰な大企業。でも最後は『夢』を選んだんです」

 ―入団後、プロの世界はいかがでしたか。

 山崎「世界が違った。『すごい人』がいる。そして時間がない。30歳を超えた人間を2軍で使うのと20歳前後の選手を使う意味合いは違う。難しかったですね」

 ―09年オフに戦力外。

 山崎「ある程度は分かっていました。プロは成績が全て。満足はしていないけれど納得はしています」

 ―プロで学んだことは。

 山崎「入団後、野村克也監督が就任してID野球を学べた。キャンプでは毎日ミーティングがあった。配球や考え方、そして『人間とは…』という話が多かった。『野村語録』です。勉強になった。今でも指導に生きているし、野村監督のお言葉を自分の言葉にして選手に伝えている」

 ―引退後は。

 山崎「約3か月、静岡に戻って、営業の仕事をしました。ただ、野球に携わりたかったということもあって、楽天に呼ばれたので戻りました」

 ―弟・哲也さんはJ1大分などで活躍。現在は大分U―18で監督をされてます。

 山崎「昨年はJ2大分のトップチームのコーチをしていた。U―18には希望して行ったらしい。指導論の話? しないですね」

 ―どんな指導者に。

 山崎「将来的には、全国から選手が集まる魅力的なチームにしたい。今年は1年生だけの11人だけですが、7月の全国選手権で1勝したい。ポジションも決まってないけど、上級生相手でも負けるつもりはありません」

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