「心の強い選手は伸びる」第2の人生をスタートさせた中日・八木智哉氏のスカウト観

昨季限りで現役を引退した元中日投手の八木智哉氏(34)が、中日のスカウトとして、第2の人生をスタートさせた。スカウト1年目を迎えた左腕は、原石とも言える高校生の発掘に強い関心を持ち、「心が強い選手を見つけていきたい」と決意。プロ生活12年の思い出や、スカウト観などを直撃した。(青柳 明)
―昨年10月に2度目の戦力外通告。現役にこだわりを持っていた。
「けがじゃないし、1試合勝っていたからね(7月30日・阪神戦)。本音を言えば、やり切るまでやりたかったよね」
―海外も視野に入れていた。
「今は日本の野球しか知らないから、日本以外の野球を見たかった。『結果を出す』とかじゃなくて、指導者になった時の引き出しができる。だから、海外でもっていう思いはあった」
―スカウト転身の決断はいつ?
「実は、戦力外を通達された次の日には返事をしていた。(西山球団)代表から『球団に残ってほしい』って言われるなんて、全く考えてなくて。トライアウトで取ってもらって、クビになったのに。球団に残すのは、生え抜きの人だと思っていたから。そこで揺れたよね。気持ちが」
―真っ先に思い出すプロの思い出は?
「やっぱり日本ハム時代の1年目。新人王を取ったことじゃなくて、1年間ローテーションで回れて、日本一になれたこと。その中でも、ソフトバンクとのプレーオフで、斉藤和巳さんと投げ合った試合が一番印象に残っているね。和巳さんは、当時のナンバーワンピッチャー。満身創痍(そうい)だったはずだけど、それでもチームのために投げていた。そういうプロ意識を持ったピッチャーと投げ合えたのは、すごい財産になった」
―12年間のプロ生活だった。
「日本ハムでの7年は、自分の結果しか求めなかった。オリックスでの2年は試練。苦しかった。中日での3年は、野球以外の精神的な部分でモデルチェンジできた」
―中日で何が変わった?
「2軍にいるし、結果を求めるのは当然だけど、ベテランとして、自分が経験したことを、若い選手に少しでもプラスになればと思って伝えてきた。1年目で優勝して新人王。でも、その年の最後に左肩をけがした。苦しくて、自分のパフォーマンスを出せなくてもがいて。それで、クビになってトレード。他の人ができない経験をしてきていると思う」
―スカウト生活がスタートした。
「一番楽しみなのは、伸びしろを見つけてあげること。メインは高校生だと思う」
―どういうところを見ていく?
「練習態度、野球に取り組む姿勢、向上心。そこで、かなり変わってくる。心の持ちようだと思う。どんなにポテンシャルがあっても、結果は出ない。プロはそんなに甘い世界じゃない」
―技術に加えて人間性の部分も大。
「ポテンシャルを伸ばすのは、心だと思う。心が強い選手は絶対伸びるし、そういう選手を見つけていきたいよね」
―それは自分の経験から?
「自分も特待生で(日本)航空に入ったわけじゃないし、プロに行けたのは(創価)大学4年の1年があったから。当時は絶対にプロへ行きたくて、何かを変えようと。とにかく練習しようと。自己満足でもいいから、自分に自信が持てるぐらい練習した。スカウトの方たちも、それほど活躍する選手になるとは、誰も思っていなかったんじゃないかな」
―高校の時も、調査書が届いたのは巨人1球団だけ。大学へ行ってから急激に伸びた。
「自分がそうやって意識してきた部分があるから、練習に取り組む態度、性格は重要だと思う。プロの世界では、気持ちで負ける選手は絶対に結果は出ない。でも、結果で負けても前に行ける選手は、何かを吸収できる選手だと思う」
―将来的な目標は?
「指導者が夢。今までの経験を学生たちに伝えて、プロのやりがいを伝えたい。元プロだから言えることもあるし、それが強み。学生に、伝えていく義務があると思う。元プロがアマチュアの指導により関わることができれば、野球人口も増えていくと思うし、メジャーに行ける選手も増えていくと思うな」
◆3年間苦楽をともにした青柳記者の目
記者と八木は日本航空のチームメートで、3年間の苦楽を共にした戦友だ。最初からモノが違った。八木を初めて見たのは、高校入学前の春季合宿。「同じ推薦組なのに、こんなピッチャーがいるのか」。直球は130キロ程度だったが、キレがズバ抜けていた。僕は投手を諦め、内野手に転向した。
運動神経も抜群だった。2年冬に、現在もサッカー部の指揮を執る仲田監督が、勧誘に訪れた。本気だった。練習試合で20三振を奪った事もあれば、3年夏の甲子園では右翼へ本塁打も放った。センスに加えて、努力を継続する才能もあった。
高校時代に届いた唯一の調査書は、巨人からだった。当時のスカウトは、現在DeNAで編成部長を務める吉田孝司氏。したためた調査書は、記念として写真に納め、今も自宅にあるアルバムに保存されていた。両親の勧めもあって大学進学を選択したが、強いプロ志向を持っていた。
一緒に2軍で練習した事もあれば、寮で同部屋だった時期もあった。ものすごく身近だった存在がプロ入り後、新人王に輝き、あっという間に遠ざかっていくのは、何だか不思議な感覚だった。努力を重ね、運をつかみ、34歳まで現役を続けた。僕たち同級生の誇りであり、自慢の友達だ。これからはスカウトとして、新たな可能性を見せてくれると信じている。(アマ野球担当)