センバツ初出場・乙訓は私学顔負けの超充実環境の公立校 府で唯一「スポーツ健康科学科」

スポーツ報知
センバツ出場を決めた乙訓ナインは帽子を空高く放り投げて大喜び(カメラ・石田 順平)

 第90回センバツ高校野球記念大会(3月23日から13日間・甲子園)の出場36校が26日、発表された。昨秋の京都大会で初優勝し、近畿大会で4強入りした乙訓(おとくに)が、創部54年で春夏通じて初の甲子園切符を手にした。組み合わせ抽選会は3月16日に行われる。

 小雪の舞うグラウンドに、ナインの歓声が響き渡った。京都・長岡京にある公立校の乙訓が、春夏通じて初の甲子園切符を手にした。市川靖久監督(35)は「多くの方々に支えていただき、ご支援をいただいた。まだ2か月あるのでしっかり準備したい」と表情を引き締めた。

 10年に京都府初で唯一の「スポーツ健康科学科」が開設された。両翼102メートル、中堅124メートルのグラウンドはほぼ野球部専用。内野は黒土、外野は約10年前に天然芝となった。11年9月には、6か所で打撃練習ができる916平方メートルの室内練習場が完成。私学校も顔負けの充実した環境の中で、左右の両腕が育ってきた。

 私学強豪の誘いを断って乙訓を選んだ富山(とみやま)太樹(2年)はプロ注目の左腕だ。昨年の秋季大会では右腕の川畑大地(2年)に背番号1を譲ったが、2人で切磋琢磨(せっさたくま)してきた。「1番は信頼されている証しだし、センバツでつけたい。川畑はお互いを高め合えるライバルです」ときっぱり。指導者にも恵まれ、着実に力をつけてきた。

 市川監督は鳥羽(京都)の主将として00年の甲子園に春夏連続出場。1学年後輩にオリックスから米大リーグ・Dバックスに移籍した平野佳寿がいた。「平野は高校時代は2番手だったけど、地道に努力していた」とナインに語り継いでいる。また、顧問の染田賢作氏(35)は04年ドラフトの自由獲得枠で横浜(現DeNA)に入団し、4年間プレー。両投手には「投手はほとんどの選手の人生を背負っているんだぞ」と言い聞かせてきた。

 16年秋からは部内で交換日誌を始めた。6人1組で1冊のA4ノートを回し、染田顧問と市川監督、コーチが「赤ペン先生」となってアドバイスをつづっている。「目標は甲子園ベスト8ですが、大会に入れば一戦ずつ勝利をものにしていきたい」と市川監督。90回の記念大会で“乙訓旋風”を起こす。(表 洋介)

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