星稜・竹谷、練習試合で3回7K

スポーツ報知
3回で7三振を奪った星稜のエース・竹谷

 23日開幕の第90回記念センバツ高校野球(甲子園)に出場する星稜(石川)が10日、1997年センバツ出場の日高高中津分校(和歌山)と和歌山・日高川町の同校グラウンドで対外試合解禁後初の練習試合を行い、1勝1敗だった。センバツに「背番号1」で臨むことが決まった主将の竹谷理央(新3年)が、第2試合に先発登板し、初回に2点を失ったものの、3回を投げて7奪三振。エースの存在感を示した。

 主将兼エース兼4番の竹谷が、三振の山を築いた。初回に「軽く投げてストライクを取りにいった」ところを連打されて2点を失ったが、2回はカットボールとスライダーで3者連続三振。3回を投げて打者14人から7つの三振を奪い、「力を入れた時に狙って三振が取れたのはよかった」と手応えを口にした。

 「背番号1」をつけて、センバツに臨む。昨秋県大会中に右手有鈎(ゆうこう)骨を骨折。北信越大会では打者に専念し、「1」を当時1年の最速146キロ右腕・奥川恭伸に譲った。しかし林和成監督(42)は「状態が万全であれば1番は竹谷。本来の力を出してくれれば、彼が絶対的なエース。信頼度が高い」と竹谷に「1」を託すことを決断した。

 センバツへ新たな武器も手にした。これまでの横にスライドするカットボールに加え、「縦に変化するカット系の球」を習得。「力を抜いてコーナーをついても打たれない投球が目標」と貪欲に追い求める。竹谷の父親は米国人で、父方の曽祖父、ジョン・ペンドルトンさんは、米国のプロ野球で投手だった。趣味である「メジャーリーグ観戦」で鍛えた“野球脳”は、奥川に変化球を教えるなどチームにも還元している。

 1年夏には「背番号17」で甲子園に出場。2番手で登板し、5回2/3を投げた。「背番号はあまり気にはしてないが、星稜の伝統のある背番号1に恥じないピッチングをして、全力で勝利を求めたい」。今度はエースナンバーを背負い、1年7か月ぶりの甲子園のマウンドに立つ。(勝田 成紀)

 ◆竹谷 理央(たけたに・りお)2000年8月31日、石川・小松市生まれ。17歳。小2で野球を始める。星稜高では1年春の北信越大会からメンバー入り。高校通算18本塁打。将来の夢は「プロ野球で活躍。173センチ、79キロ。右投左打。家族は祖父母、両親、姉、弟。

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