車いす監督率いる100回皆勤出場の西京、夢はでっかく70年ぶり聖地

スポーツ報知
2014年の京都大会で同志社国際を下した西京高・奥村監督(中央)とナイン

 第100回記念大会を迎える夏の甲子園で、1915年の第1回大会から、地方大会に過去99回皆勤出場しているのは、全国で15校しかない。48年に京都一商としてセンバツ優勝などの実績を誇る西京(さいきょう)は、奥村昌一監督(53)の指導で100回目の夏に臨む。96年に骨髄腫瘍が悪化し、車いすの同監督は、苦難に負けず今夏の京都大会で、2年ぶりに夏の指揮を執る。

 西京は前身の京都一商時代の1920年夏に甲子園初出場して以来、春4度、夏3度の出場を誇る。ユニホーム左胸のマークは、夏最後に出場した48年夏のまま。「ワクワクしますね。勝ちたい。それだけです」。奥村監督は昨年4月に肺炎を患い、リハビリ入院中だったため、夏の京都大会は指揮を執れなかった。「今度が監督をやって13度目」となる夏に胸を躍らせた。

 奥村監督は西京商だった82年センバツにベンチ入り。荒木大輔の早実と初戦で対決し、一塁コーチャーを務めた。89年に母校へ赴任し、95年夏に監督就任。だが96年に病気が悪化し、車いす生活を余儀なくされた。「(監督)復帰は考えられなかった」。98年に職場へ戻ってからは、顧問として練習や試合を見ていた。その後、人事異動の影響で監督復帰を打診され、伝統を継ぐ覚悟を決めた。

 当初は短いバットでノックをしたが、内野ゴロさえまともに打てない。「これはあかんな。できるはずがない。こんな体で(監督を)やっていても、選手に体で見本を見せられない」。常に葛藤はある。それでも、監督を続けてこられたのは「好きなんでしょうね。高校野球が。高校野球をやっていたおかげで今がある」という情熱からだ。

 現在は、生徒の5割以上が国公立大学を志望する進学校だ。内野が黒土のグラウンドは他部と共用で、約1時間半しか練習ができない。指揮官は日誌などで選手と密にコミュニケーションを取り、選手も監督への気遣いを忘れない。「先輩はどんなことがあっても、野球を奪われるようなことなくやってきたから、今のお前たちがある」と指導してきた結果が100回目の夏挑戦だ。

 皆勤出場校の主将は、今夏の甲子園開会式に招待されている。「夏に古豪復活を目指したい。18人で歩く(入場行進)のが目標」と田中優平主将(3年)。近年は上位進出を果たせずにいるが、2014年夏の3回戦でセンバツVの龍谷大平安を0―3と苦しめるなど粘り強い。車いすの監督が率いるレジェンド校が、夏70年ぶり出場の夢を追う。(伊井 亮一)

 ◆西京 1886年5月に京都府商業学校として創立。1901年4月に京都市立商業学校、10年4月に京都市立第一商業学校、48年4月に新制高等学校となり、京都市立西京商業高等学校、同年10月に京都市立西京高等学校、63年4月に京都市立西京商業高等学校、2003年4月に京都市立西京高等学校とそれぞれ改称。04年4月に付属中学創立。野球部は1908年創部。部員は36人。主な卒業生は元巨人・国松彰、中井康之、お笑いタレントの木村祐一ら。

野球

×