練習の虫、有言実行、知られざる吉田輝星 片岡が見た18年総集編

スポーツ報知
金足農・吉田輝星

 今年の高校野球は、大阪桐蔭が史上初となる2度目の甲子園春夏連覇を達成。根尾、藤原といったタレントもそろい、常に話題の中心であり続けた。そんな中、第100回を数えた夏の甲子園を大いに盛り上げたのが、金足農(秋田)のエース・吉田輝星だろう。

 県勢103年ぶりの準優勝で“金農フィーバー”を巻き起こし、U18アジア選手権でもエース格として活躍。一気にスターへと駆け上がっていった。その後、9月から10月にかけて、知られざる輝星の素顔を探るべく、秋田で中学時代の恩師らを取材して歩いた。

 そこで明らかになったのは、決して輝星がズバ抜けた存在ではなかったということだ。天王中1年時の野球部監督だった高砂明教諭(51)は「コントロールは大変よかったんですが、中学校に上がるとマウンドからホームまでの距離が大人と同じになるんです。スピードがまだまだでした」と振り返った。1年先輩が県大会で準優勝するほど強かったこともあり、出番はほとんどなかったという。

 一方で、努力する才能には恵まれていた。天王中2、3年時の監督だった石川英樹教諭(55)が言っていた。

 「ピッチングをさせれば、自分が納得するまで毎日200球近く投げるし、『タイヤを引いてゆっくり走っとけ』と言っても、外野のポール間を全力で走っている。2年生の冬を越えて春を迎えた時には、見違えるような体つきになってました。監督歴は30年ほどになりますが、こちらがやめとけと言うほど練習したのは輝星くんだけです」

 有言実行の男でもあった。中学卒業時、輝星は恩師に「高校に入ったら甲子園に出るので見ててください」とLINEを送っていたのだ。石川教諭は「彼は中学時代から常々、プロ野球選手になりたいと言っていた。その前段階としての甲子園出場だったんでしょう。自分で目標を持ち、それを実現するためには何をすべきかを考えることもできる。それに、彼ほどストイックに自分を追い込める子はいなかった」と目を細めていた。

 あの実力は、確かな努力に裏打ちされていた。「あれだけ野球が好きで、野球がうまくなりたいという強い気持ちもある。これからもまだまだ伸びていってくれるんじゃないかと思ってます」という石川教諭の言葉にうなずきながら、輝星のプロでの成功を確信している自分がいた。(東京アマ野球担当・片岡 泰彦)

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