米国野球殿堂にチッパー・ジョーンズ、得票率97・2%

スポーツ報知

 米国野球殿堂が24日(日本時間25日)、今年の表彰者を発表した。日本の野球殿堂に入り、今回米国でも初めて候補に入った松井秀喜氏(43)は4票で選出されなかった。規定の得票率5%に達しなかったため1年で候補資格を失った。松井氏は14年度の野茂英雄氏(6票)に次いで日本人2人目、野手では初めてだった。落選の背景を「ヒルマニア」で解説する。殿堂入りは4氏。そのうちC・ジョーンズ氏の得票率97・2%は、歴代11位の高率だった。

 チッパー・ジョーンズ氏は球史に残る両打ちの三塁手としてブレーブス一筋で黄金時代を支えた。資格1年目での選出に「堅実な打撃を求めていた。多くの成績に誇りを持っている」と喜びをかみしめた。90年のドラフトで全体1位指名。三塁手に転向した95年に頭角を現した。主に3番で140試合に出場しワールドシリーズ制覇に貢献。同年、ドジャースで旋風を巻き起こした野茂に14ポイントの僅差でわずかに及ばず新人王こそ逃したが、その時に言ったのが「これからが本当の勝負」。野茂は110勝、ジョーンズ氏は2585安打、445本塁打を積み重ねた。通算打率は3割3厘で「通算で三振より四球が多いのは自分にとって良かったこと」と自賛したように選球眼も抜群だった。99年に打率3割1分9厘、45本塁打、110打点でナ・リーグのMVP。36歳になった08年年には6月中旬まで打率4割をキープし3割6分4厘で初の首位打者を獲得。97・2%の得票率は歴代11位。M・マントルが88・2%、E・マレーも85・3%だったもので、両打ち打者では最高の評価を得た選手となった。

 ◆ウラジーミル・ゲレロ

 ドミニカ共和国出身野手では初選出。「数多くの選手がいる中で最初の殿堂入りが果たせて光栄」と喜びを表現。190センチで100キロを超える巨体ながら、強打強肩快足と全てに卓越しエクスポズ(現ナショナルズ)時代の01年から2年連続トリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)。エンゼルスへ移籍の04年には18年ぶりの地区制覇に導き262安打の新記録を作ったイチローらを抑えMVP。右打者で悪球打ちに定評、通算打率3割1分8厘はイチロー(・312)をしのぐ破天荒な選手だった。

 ◆ジム・トーミ

 歴代8位の612本塁打。600本以上9選手で唯一MVPがなく本塁打王1度。脚力も守備力もなく、愚直に本塁打を積み上げた。95年から7年で6度ポストシーズンに進出したインディアンスの主砲。96年から9年連続で30本以上をマーク。当時指導者だったヤクルトなどで活躍したC・マニエル氏への感謝を忘れず「マニエル監督がいなかったら、自分はここにいなかった」と言い切った。当時の本塁打のライバルが禁止薬物にまつわる疑惑とは無縁。社会貢献活動にも熱心で、愛すべき選手だ。

 ◆トレバー・ホフマン

 メジャー初の通算600セーブ(601セーブ)を達成した右腕。ナ・リーグ最優秀救援投手賞は「トレバー・ホフマン賞」と自身の名が付いている。「努力を重ねたからここまでこられた」と感慨に浸った。生後すぐに病気で腎臓を一つ摘出する手術を受け、医師から激しいスポーツを止められたが、遊撃手でプロ入り。肩が強く投手に転向。パドレスの本拠で登板する際のテーマ曲は「ヘルズ・ベルズ(地獄の鐘)」。同僚の大塚晶文が06年WBCで使って世界一に貢献、注目された。

 薬物使用2氏微増

 卓越した実績を持ちながら薬物使用がついて回るクレメンス氏、ボンズ氏は、ともに昨年からわずかな増加にとどまった。既に殿堂入りしている名二塁手モーガン氏が昨年11月、今では禁止されている薬物使用者には入れないよう訴える手紙を投票資格者に送付。一方で、薬物規定ができる前に殿堂入りしている選手もいることなどを理由に投票する記者もおり、依然として賛否が分かれている。

 マルティネス氏落選 

 イチローのかつての同僚で、マリナーズで主に指名打者として通算2247安打を放ったE・マルティネス氏は70.4%で落選した。来年が候補者リストに残れる最後の10年目。ツイッターを通して「応援してくれたファンに感謝する。いい方向にいっているので、来年こそは選ばれるかもしれない」とコメントした。

 ◆米国野球殿堂 競技者部門は全米野球記者協会在籍10年以上の会員が成績、能力、品格、チームへの貢献度などを考慮して投票し、毎年1月に結果を発表する。同協会による選考は1936年に始まった。当選には得票率75%以上が必要。同5%未満は翌年からの候補資格を失う。

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