燃える男、闘将の原点 鉄拳は「かたきを取る」こと…星野仙一氏評伝

スポーツ報知
81年、闘志をむき出しにし巨人と戦った星野

 「燃える男」星野仙一さんの原点は、幼少期にあった。星野さんは、まだ母・敏子さんのおなかにいる時、父親を亡くした。母は「女きょうだいばかりの中、一人息子をいかに男らしく育てるか」ということに腐心した。けんかをして、泣いて帰ってきた息子を泣きやむまで家に入れなかった。厳しくしつけもしたが、野球で暴れる分には叱ることはなかった。

 後年、父親代わりとなる明大・島岡吉郎監督は、その星野さんに「ユニホームでこそ燃える」ということを徹底指導した。現役時代、そして、監督になってからも「殴られたら殴り返すのがオレの野球」と言ってはばからなかった。「殴る」というのは単純な暴力のことではない。打たれたら取り返す。負けたら次はかたきを取る―そういう意味だった。

 その魂で、V9時代の巨人という強敵に立ち向かった。

 1970年。巨人V6は中日の本拠・中日球場(当時)で達成された。中日はそれまで本拠で相手の胴上げを一度も許していなかったが、この試合、星野さんは先発して負け投手に。「この屈辱は忘れない」。肩を震わせながら、こう言ったという。この年に右肘を痛めたが、「打倒・巨人」の思いから投球スタイルを変え、スライダー、フォークという新球を習得。これが奏功して、71年8月27日から73年7月15日まで、巨人戦21試合に登板して10連勝。「Gキラー」の異名はこうして生まれた。そして、74年。そのライバルのV10を阻んだのだった。

 マウンドから球審に対して、怒声で判定を問いただす姿が何度も見られたが、「仙ちゃんはユニホームを着ると人が変わるんだ」と、星野さんのことを悪く言う審判はいなかった。普段は礼儀正しく、明るく、朗らかで人情に厚い。あのミスターをして「マウンドとそれ以外で、あんなにも人相の変わる選手も珍しい」と言わしめたほど。「燃える男」の熱い血は、ユニホームをまとったとき、沸点を迎えるのだった。

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