前巨人・村田が“男の決断”NPB復帰目指しBC栃木で愛妻故郷から再出発

スポーツ報知
BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに移籍する村田

 昨年10月に巨人から戦力外通告を受け、自由契約となった村田修一内野手(37)がルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスへ移籍することが4日、分かった。5日に発表され、9日に入団会見が行われる。これまでNPB球団への移籍を模索してきたが、入団テストを含めて声はかからなかった。節目の2000安打まで残り135本。7月末までのNPB復帰を目指して、絵美夫人の故郷である栃木の地から、“男・村田”が再スタートを切る。

 まだまだ野球を続けたい。村田が一野球人として独立リーグからはい上がる決意を固めた。「ここまで(オファーが)ないことを考えれば、次のステップに進まないといけない。野球をまだしたい。踏ん切りのつくところまでやります」と現役へ変わらぬ思いを口にした。

 新天地は栃木だ。妻・絵美さんが高校時代まで過ごした故郷で、毎年12月末には家族で訪れている。さらに、栃木には横浜(現DeNA)時代に結成された「村田修一後援会」もあり、なじみがある。長男・閏哉くんが未熟児だったことから、毎年オフには同県内の自治医大付属病院を訪問するなど、縁が深い。

 これまで村田の元には独立リーグの複数球団からのオファーだけでなく、大リーグ球団からの接触もあり、一時は米球界挑戦も視野に入れていた。妻と3人の子供たちのために現役引退して他の職業に専念することも検討していたが、「独立リーグからもう一度、日本のプロ野球で野球をやりたい」と純な思いを貫くことを決断した。

 栃木へは単身赴任になる。37歳にして初の自炊生活でNPB復帰を目指す。12球団に比べて独立リーグは環境的に恵まれているとは言い難いが、これまでに「学生時代はグラウンド整備も自分たちでやっていた。本当に原点に返って野球に打ち込む」と決意を口にしていた。もちろん、「来てくれた方にいろんなファンサービスができれば、僕としてもプラス。勉強して次に進む」と独立リーグが掲げる地域貢献にも尽力するつもりだ。

 BC栃木は設立2シーズン目を迎えた若い球団だけに、村田には強打と巧守でチームに貢献することはもちろん、若手の教科書としての役割も期待される。背番号は日大時代からの代名詞で、横浜、巨人で背負った25番をつける。9日に入団会見を行い、10日から栃木県内で行われるキャンプに参加。4月7日の群馬とのシーズン開幕戦(群馬・敷島)へ備える。「もう一度プロ野球で」と不退転の覚悟で再出発を切る。

 ◆栃木ゴールデンブレーブス 栃木県小山市を本拠地とする球団で、16年6月にBCリーグへの正式加盟が承認された。同リーグの東地区に属する。参入1年目の昨季は前期が7勝28敗の5位、後期が12勝20敗4分けの4位だった。監督は元ソフトバンクの辻武史(38)。元西武コーチの宮地克彦(46)がヘッドコーチを務める。ヤクルトを昨季限りで退団した飯原誉士(34)も、外野手兼コーチとして今季から同球団に加わる。

 ◆村田 修一(むらた・しゅういち)1980年12月28日、福岡県生まれ。37歳。東福岡3年時に投手として甲子園に春夏連続出場。日大で内野手に転向し、2002年ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年に本塁打王を獲得。08年北京五輪、09年第2回WBC日本代表。11年オフにFA宣言して巨人へ移籍。三塁でベストナインを4度、ゴールデン・グラブ賞を3度受賞。177センチ、92キロ。右投右打。家族は絵美夫人と3男。

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