【楽天】三木谷オーナー、涙ながらに星野仙一副会長との思い出語る…弔辞全文

スポーツ報知
楽天・三木谷オーナー

 楽天の三木谷浩史会長兼オーナーが19日、都内で行われた星野仙一副会長(享年70)のお別れの会で謝辞と弔辞を読み、何度も涙を流して言葉を詰まらせながらも、感謝の思いを口にした。

 楽天がプロ野球に参入する前の2004年に初めて対面したことや、ヤンキース・田中のポスティングの裏話など思い出を振り返りながら、「77」を選手や首脳陣が背負った番号としては球団史上初めての永久欠番にすることも明かした。弔辞全文は以下の通り。

 「星野さん、今でも最初にあったときのことを覚えています。2004年、大阪の講演会でたまたま一緒になりました。当時はプロ野球危機の真っ最中で、プロ野球自体が崩壊するかも知れないという状況でした。君みたいな若い人がプロ野球界に…。ごめんなさい。(約45秒涙で言葉を詰まらせ)怒られますね。すみません。君みたいな若い人がプロ野球界に参入して新しい風を作れと。星野さんの一声が背中を押し、参入を表明しました。そこから、もしかしたら星野さんと楽天イーグルスの運命は始まっていたのかもしれません。2004年、プロ野球参入初年度、38勝97敗、借金59と現実の厳しさを突きつけられました。それから浮き沈みありましたが苦戦が続き、2009年、再び最下位。絶望的な結果にダメ元で監督をお願いしたら『ええよ』と快諾。心からうれしかったのを覚えています。ヨシこれで…と思っていた矢先に3月11日に、東日本大震災。我々がフランチャイズとした東北が本当に甚大な被害を受けました。『えらいこっちゃ、オーナー大変なことになりました』。残念ながらその年の結果は出ませんでしたが、楽天イーグルスの存在が東北の人に少しだけ笑顔をもたらしたのかなと思います。2013年リーグ優勝、そして日本一。160球以上投げたエース・田中に最終回クローザー指名。色んな場面で『自分は止めた』と言っていましたが、ベンチの横で見ていた僕には審判に、にやつきながら『誰か分かるか、田中や』というのが聞こえました。まさに闘将・星野仙一の真骨頂だと感じました。この優勝は東北の復興に大きな元気を与えるだけでなく、日本中の人に、プロ野球史に残る感動的な…優勝になりました。熱血漢で闘将と言われながら、本当に本当に人に優しい、義理を大切にする方でした。だから野球界を超え、様々な人を見抜いてきたんでしょうね。20歳以上年下の僕にも野球以外のことも本当に教えてくれました。優勝した後のオフの田中将大の大リーグポスティング。それまで青天井だったオークションがいきなり20億円という制限があり、どうすべきか迷う我々に『オーナー、とにかく田中を応援してやってくれ、あいつのおかげで優勝できた』と。まさしく星野さんらしいエピソードだなと思いました。そして2016年。厳しいガンの宣告、それからの闘病生活。『絶対に秘密にしてくれ』ということで、球団内は私と社長しか知らせず、友人の方にも知らせなかったのは、星野さんらしい生き方なんだなと思いました。(昨季は)シーズン途中までダントツ1位。これで副会長にも勇気を与えられるなと思っていたところ、夏以降の急降下。『おいお前ら、副会長は病気と闘っているんだ、気合を入れろ』と選手に言いたいところでしたが、口止めされていたので言えませんでした。今年はきっとやってくれるでしょう。楽天イーグルスだけではなく、常に野球界のことを考えて、70歳と現代では少し早すぎた人生かもしれませんが、熱い生き様、優しいお顔、夢を抱く大切さは私を始め、多くの人々の心の中に生き続けると思います。今年1年楽天イーグルスの選手、首脳陣はユニホームの裏に、77をつけて戦います。これからもファンはイーグルスの試合を見る度に、星野さんのことを思い出すでしょう。天国からも楽天イーグルスにゲキを飛ばして下さい。そして、最後に77番は大切に楽天イーグルスの永久の宝物として取っておくということを私の弔辞とさせて頂きます。本当に本当にありがとうございました」

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