三木谷オーナー号泣 永久欠番「77」…星野氏お別れの会に3150人

スポーツ報知
星野仙一氏お別れの会で祭壇に献花する巨人・高橋監督(カメラ・安藤 宏太)

 1月4日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった楽天・星野仙一副会長(享年70)のお別れの会が19日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪・国際館パミールで行われた。祭壇には36メートルにわたって花が置かれ、監督を務めた3球団それぞれのユニホームを着た写真が飾られた。野球界を中心に一般献花も合わせると3150人が参列。謝辞と弔辞を涙を流しながら読んだ楽天・三木谷浩史オーナー(53)は今季、ユニホームの裏に77番をつけて戦うことと、「77」を永久欠番とすることを明かした。

 こみ上げる思いがあふれ出た。三木谷オーナーの目から涙が止まらなかった。2004年。球界参入を検討していた際に、星野副会長から授かり、最後の後押しとなった一言を「君みたいな若い人がプロ野球界に…」と弔辞で述べると約45秒間、言葉に詰まった。「怒られますね、すみません…」と闘将の顔を頭に思い返して言葉を続けた。

 チームの歴史を作った闘将に感謝の思いを伝えるべく、三木谷オーナーは早くも動いた。星野副会長は10年10月、楽天の監督に就任。開幕直前に東日本大震災を経験し、13年に球団史上初の日本一に導いた。約8分にも及んだ弔辞の最後に、恩返しプランを明かした。

 「今年1年楽天イーグルスの選手、首脳陣はユニホームの裏に、77をつけて戦います。これからもファンはイーグルスの試合を見る度に、星野さんのことを思い出すでしょう。天国からも楽天イーグルスにゲキを飛ばして下さい。そして、最後に77番は大切に楽天イーグルスの永久の宝物として取っておくということを私の弔辞とさせていただきます」

 各選手の背番号などと混同しないよう、「77」はユニホームのズボンの中に隠れるように、上着の端の裏に記すことが濃厚。選手や首脳陣が背負った番号では初めて永久欠番とする計画だ。昨季は8月まで首位を走りながら失速。病状を知っていた三木谷オーナーは「おいお前ら、副会長は病気と闘っているんだ、気合を入れろ」という思いを、口外せず星野副会長との約束を守り胸の内に秘めてきた。

 生前には自身の死期を悟っていたそうで「オープン戦の終わる頃と開幕戦の間にこういう会をしろ」とも言われていたことも明かした。4月3日の本拠地開幕戦・日本ハム戦では「77」のユニホームで戦う。「歴史上に残る人物なんだなと思います」。楽天、三木谷オーナーの心の中にはいつまでも星野仙一は消えない。(安藤 宏太)

野球

×