野球盤は進化を続けて60年「守備側つまらない」覆した消える魔球

スポーツ報知
28日発売の「野球盤3Dエース スタンダード読売ジャイアンツ」を前にする野球盤と“同級生”の寺島徹さん

 老舗玩具メーカー・エポック社(東京都台東区)のボードゲーム「野球盤」が今年、発売から60周年を迎えた。会社設立のきっかけとなった商品は1958年の発売開始から現在まで計71機種、累計1400万台を販売。「消える魔球」に代表されるさまざまな機能を加え、現在では子供たちだけでなく2世代、3世代で楽しむおもちゃとして知られている。ロングセラーの歴史や、今後の展望などを聞いた。(高柳 哲人)

 野球盤の発売開始から60年なら、エポック社も創立60年。野球盤の歴史は、会社の歴史でもある。生みの親で、初代社長の前田竹虎さん(97年死去、享年79)は当初、ジグソーパズルなどを販売していたアポロ社(現在はエポック社のグループ傘下)に勤めていたが、「野球盤を作るために独立したそうです」と執行役員のトイゲーム本部・寺島徹本部長(60)は話した。

 その前田さんに野球盤のアイデアが浮かんだのは、パズルの会社に勤務していたからこその「偶然」からだった。「ある日、ポケットからパチンコ玉がこぼれてコロコロと転がり、作りかけのパズルのピースがはまっていない『穴』に落ちたそうです。その時、パッとひらめいた…というのが“伝説”になっています」。もともと野球が好きで、盤の上で野球の試合ができる玩具を構想していた前田さんの頭に「基本システム」が完成した瞬間だった。

 60年の間には、デザインだけでなくさまざまな機能が付け加えられてきた。寺島さんによると、中でも「革命」と言えるものが3つあるという。そのうち最も有名で、野球盤の「代名詞」ともいえるのが、遊んだことのある人ならほとんどの人がピンと来る「消える魔球」。72年発売の「オールスター野球盤BM型 魔球装置付き」(1650円)で最初に搭載されたが、ヒントは野球漫画の金字塔「巨人の星」だった。

 「巨人の星」には主人公・星飛雄馬が投げる魔球として、ボールがホームベースの上で消える「大リーグボール2号」が登場する。「当時アニメが放送されていて、そこで話題になった時に、会社の上層部から『消える魔球の機能を入れろ!』との指令があったそうです。開発担当は試行錯誤を重ねていったそうですが、『2号』と同じ原理【注】で『ボールを落とせばいいんじゃないのか』という発想になり、盤上のふたが開閉してトンネルに球を通すという仕組みができあがった」(寺島さん)と社内には伝わっているという。

 かく言う寺島さんも、「消える魔球」に魅(み)せられた一人だ。「私の家にあったのは魔球がないタイプ。だから、『BM型』を買ってもらった友達がうらやましかったですね。毎日、その友達の家に行って遊んでいました」。魔球の登場までは「攻撃側は楽しいが、守備側はつまらない」という風潮があったが、その概念を覆すことに。さらに「見逃したらボール」「打者1人につき魔球は〇球まで」などといった「ローカルルール」も生まれ、ゲーム性の幅を広げた。

 その後、第2の革命と言われたのが2010年の「野球盤スラッガー」(7980円)から導入された「高反発バット」、第3が15年の「野球盤3Dエース」(7538円、税込み)の「3Dピッチング機能」だ。「野球盤スラッガー」は「ホームランを直接スタンドに運べるようにしたい」という考えから、バットを一部加工してジャストミートすれば球が浮き上がってスタンドインする仕組み。「野球盤3Dエース」では「投球がいつまでもボウリングみたいに転がるだけでいいのか?」と、球の放出部分を改良して投球が浮き上がるようにした。

 ちなみに、88年発売の「ビッグエッグ野球盤」(9980円)にも打球が浮く仕組みがあったが、寺島さんによると、ある意味“邪道”ともいえるもので、「革命」には数えられないという。「通常は鉄製の球の中に軽いアルミ球がまざっていて、うまく打てば浮き上がるというものでした。ただ、軽いので飛び過ぎるという問題もあって、屋根がある『ビッグエッグ野球盤』だからこそできた。それに、当時はうまくいくかどうか分からなかったので…」と笑った。

 その「ビッグエッグ野球盤」の時代に、ファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとしたテレビゲームが隆盛を迎える。「ファミリースタジアム」(ファミスタ)や「燃えろ!プロ野球」(燃えプロ)など、野球ゲームも次々と登場した。それに伴い、野球盤の売り上げも下がり、一時は「冬の時代」を迎えたが、21世紀に入って再度、野球盤のブームが来たという。

 「『テレビゲームは面白いけど、それでいいのか?』という思いを持った人たちがいたのでは。それに、かつて野球盤で遊んだ人たちが親になったこともあるのだと思います。アナログへの回帰という流れもあったのでしょう」と寺島さん。累計300万台と、シリーズ最大のヒット作となった「野球盤AM型」(74年発売、3000円)をほうふつさせる「野球盤スタンダード」(3980円)が04年に発売された頃から、売り上げは再び上昇カーブを描いた。

 時代や流行が移り行く中、半世紀以上にわたってボードゲームの最先端を走ってきた「野球盤」。今後について寺島さんは「販売エリアの拡大が目標」とした。3年ほど前から韓国に輸出を始め、人気を博している。米国でも販売中だが、さらなるマーケットの拡大を狙っているという。「米国は日本の玩具マーケットの4倍と言われている。そこで認められれば、野球人気が高い海外で野球盤が注目されると思うんです」と言葉に力を込めた。

 ところで、エポック社にとって「野球盤」は、どんな存在なのだろうか? 「うちの会社が目指すのは『一過性ではなく、永遠に売れるおもちゃを作る』こと。その象徴だと思っています」と寺島さん。この世に野球というスポーツがある限り、野球盤は改良を加えられつつ、野球ファンの心をつかみ続ける。(すべて価格は当時のもの)

 【注】「大リーグボール2号」は、ホームベースの上で球が地面スレスレまで落ちた後にホップし、ベース周辺の土を巻き上げることでボールが消えたかのように見えるという設定だった。

 ◆エポック社 1958年、初代社長の前田竹虎さんら4人がゲーム玩具の企画製造販売会社として設立。60年、長嶋茂雄氏と広告契約を結び、玩具業界初のテレビ宣伝をスタート。75年、国産第1号テレビゲーム機「テレビテニス」、81年にはカートリッジ交換式ゲーム機「カセットビジョン」発売。85年、女児向けの動物人形およびドールハウス「シルバニアファミリー」発売。他の主なヒット商品に「バーコードバトラー」「アクアビーズ」など。

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