「1回から9回まで出るのが衣笠」連続試合出場継続し引退“野球小僧”の美学

スポーツ報知
87年10月、本拠地最後の試合で胴上げされる衣笠さん

 プロ野球記録の2215試合連続出場を果たし、「鉄人」と呼ばれた元広島の衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が23日、上行(じょうこう)結腸がんのため都内の病院で亡くなった。71歳だった。

 すでに病魔に侵されていたのか。マスク越しの声はかすれていた。だが、抹茶をすすりながら懸命に言葉を紡ぐ衣笠さんの目には、魂がこもっていた。

 「代打は衣笠じゃない。1回から9回まで出るのが衣笠。それができなくなったら、終わりなんですよ」

 阪神・鳥谷の2000安打達成に際し、昨夏、都内でインタビューの機会に恵まれた。2215試合連続出場の世界記録(当時)を継続したままユニホームを脱いだ心境を尋ねると、鉄人の矜持(きょうじ)に満ちた答えが返ってきた。

 1987年、打率2割4分9厘、17本塁打、48打点の成績を残しながら、衣笠氏はバットとグラブを置いた。30本を放っても、現役を退いた「世界の王」の美学の影響が強かったという。

 「30本打って辞めた人がいる。17本なんて全然駄目よ。僕の価値観の中では野球に対してウソはつけなかった。いつか思い出した時に『あの時、もう少し早く辞めておけば』と考えたら自分が許せない。人に対して、さい疑心を持たない間に辞めた」

 自らを「野球小僧」と称するほど野球を愛していた。だから痛くても、きつくても、休養の2文字はなかった。そして、力が落ちたと感じた時はすっぱりと身を引いた。

 父親が在日の米軍人で、被爆地の広島でプロ生活を送った。平和への思いがグラウンドに立ち続ける原動力だった。

 「僕も戦争を知らない世代だけど、戦時中の話を先輩たちから聞かされてきた。戦争で野球ができない時期を乗り越えてプレーしていたから、みんな野球が好きだった。今の子には悪いけど、想像もできないだろうな」

 衣笠氏の前に世界記録を保持していたゲーリッグに感謝し、自らを超えたリプケンとは本音で語り合える関係を築いた。鉄人の系譜を継ぐ後輩たちの台頭を心から願っていた。

 天国でも、心も体も強靱(きょうじん)な「野球小僧」を探しているに違いない。合掌。(表 洋介)

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