【ヒルマニア】鉄人・衣笠祥雄さん、日本シリーズで1度だけ欠場したことがあった

スポーツ報知
1982年6月4日の巨人戦でフルスイングを見せる衣笠さん

 「ヒルマニア」は、スポーツ報知で野球を担当し続けて46年の蛭間豊章記者が、マニアックなネタをお送りします。

 プロ野球記録の2215試合連続出場をマークした衣笠祥雄氏。日本シリーズには計5度出場したが、1試合だけ欠場したことがある。

 79年、近鉄との日本シリーズ。この年のレギュラーシーズンでは不振から、連続フルイニング出場はストップしたが、当時歴代2位の1175試合まで連続出場を伸ばした。成績も打率2割7分8厘、20本塁打、57打点まで盛り返し、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 だが、日本シリーズでは「2番・三塁」で1、2戦に起用されたものの8打数ノーヒット。3三振に2併殺打、守っても1失策と大ブレーキ。連敗スタートだったこともあって、古葉竹識監督は本拠・広島市民球場に戻った第3戦の先発メンバーから衣笠を外した。メンバー発表の際にはネット裏の記者席、そして地元ファンからも、驚きのどよめきが上がった。

 「公式戦と日本シリーズは違う」と理由を説明した古葉監督は、第6戦まで4試合続けて先発から外したものの、第3、4、6戦は守備固めで途中出場させた。第5戦は1―0の接戦となり、衣笠は最後まで出番なく、ベンチで戦況を見つめるだけだった。

 日本シリーズは第3戦から広島が3連勝、第6戦は近鉄が盛り返し3勝3敗となった。第7戦。古葉監督は衣笠を5試合ぶりに「2番・三塁」でスタメンに戻した。

 初回無死三塁、衣笠はいきなり中前に先制打を放つなど2安打。試合は9回無死満塁を江夏豊が切り抜け、広島が4―3で初の日本一に輝いた。「江夏の21球」で後世に語り継がれる一戦だ。

 衣笠は87年にユニホームを脱ぐまで、その後出場した3度(80、84、86年)の日本シリーズ22試合では、その名が一度もスコアボードから消えることはなかった。「江夏の21球」で知られる伝説の一戦は、鉄人をよみがえらせた試合でもあった。

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