【中日】松坂12年ぶり勝った 勝利球は妻子に

スポーツ報知
6回1失点で12年ぶりの日本球界勝利を挙げた松坂は、ドアラからの手荒い祝福に笑顔を見せる(カメラ・馬場 秀則)

◆中日3―1DeNA(30日・ナゴヤドーム)

 中日・松坂がDeNA戦(ナゴヤD)に先発し、8四死球を出しながらも6回3安打1失点で今季初勝利(2敗)を挙げた。日本球界での勝利は西武時代の2006年9月以来、12年ぶり。日本では通算109勝目、日米合計で165勝目となった。

 尻ポケットにしまい込んだウィニングボール。その重みが、松坂に気が遠くなるような苦難の日々を思い出させた。メッツ時代の14年6月10日ブルワーズ戦以来、国内では西武時代の06年9月19日ソフトバンク戦以来、4241日ぶりの勝利。「物に執着ないんですが、きょうのボールは特別。母親(由美子さん、64)の誕生日ですが、申し訳ないけど妻(倫世夫人)と子供たちに渡したい」。心が折れそうな時も支えてくれた、最愛の妻子の笑顔を思い出した。

 闘志に火がついた。3―0の3回2死一塁。144キロの直球に、横浜高の後輩・筒香は、体がちぎれるようなフルスイングで応えた。この球はファウルで、最後は四球になったが「めっちゃ力が入った。後輩というのもありますけど、今や日本を代表する打者。強烈に意識する打者もいないし、彼の存在は特別」。6回まで全イニングで走者を背負いながら1失点のみ。3安打8四死球、中日での最速147キロの直球を含む114球の力投だった。

 この日も「プレッシャーはなかった」と言い切った。少年時代から「野球で緊張したことがない。緊張は学校の試験だけ」と豪語し、世界一に貢献した06年、09年のWBCでも「胸の高鳴りはあったけど、緊張はなかった」と揺るがぬ自信を持っていた。だが、一度だけ我を忘れてしまったことがある。16年10月2日、ソフトバンク時代唯一の公式戦登板となった楽天戦だ。15年の国内復帰からほぼ2年を棒に振り、ようやく手にしたチャンスで4連続四死球に3連打。1回5失点と炎上した。「頭の中が真っ白になり、体がフワッと浮いたような感じになった。何をしているのか分からなくなった。これが緊張なのかな?」と、つぶやいた。

 前後して右肩の強い痛みに悩まされた。「誰でもいいから痛みを取ってほしい」と、全国各地の名医と呼ばれる人物を訪ね歩き、ある時は青森に足を向けた。友人に「いい先生がいたの?」と問われ「いや、お墓参りに行ってきた」と答えた。母方の先祖に手を合わせ、痛みを和らげてくださいと祈りをささげるほど、精神的に追いつめられていた。

 ナインに「泣くんじゃない?」と冷やかされたが、感慨は封印した。「3年間まともに投げられなかったので、今、試合を任せてもらえる状況は幸せ。でもプロである以上、結果が伴わないといけない」。怪物と呼ばれた剛球の面影は薄れたが、カットボールなど多彩な変化球で打ち取った。数々の勲章を手にした男のたくましさが、横顔によみがえった。(田中 昌宏)

 ◆日本球界復帰後の松坂

 ▽14年12月5日 米大メッツからFAとなりソフトバンクに入団。

 ▽15年8月18日 右肩を手術。

 ▽16年10月2日 楽天戦(コボスタ)の8回、10年ぶりの日本1軍登板。1回3安打4四死球で5失点。これがソフトバンク3年間で唯一の登板となった。

 ▽18年1月23日 中日入団テストに合格。

 ▽同4月5日 巨人戦(ナゴヤD)で先発。5回3失点で敗戦投手。

 ▽同19日 阪神戦(同)で2敗目も、7回2失点、123球の熱投。

野球

×