【楽天】最年長から最年少へ…64歳・梨田監督辞任で38歳平石ヘッドが代行

スポーツ報知
梨田監督(右)に代わって指揮を執る平石ヘッド兼打撃コーチ

◆日本生命セ・パ交流戦 楽天1―2阪神(16日・楽天生命パーク)

 楽天は16日、梨田昌孝監督(64)が成績不振の責任を取り、辞任することを発表した。この日の阪神戦(楽天生命)に敗れて借金が今季ワーストの20となり、試合終了後に立花陽三社長(47)に辞任を申し出て、承諾された。17日の阪神戦(同)からは、平石洋介ヘッド兼打撃コーチ(38)が、監督代行に就任して指揮を執ることになった。

 突然の発表だった。試合終了1時間半後。安部井統括本部長は梨田監督の辞任を発表した。10分後にユニホーム姿で報道陣の前に姿を見せた指揮官は「(借金)20というのが自分の中で一つのラインというか、責任を取るライン。まだ6月でマイナス20はひどい数字だし、仙台で7勝24敗。本拠地で勝てないのは監督の責任」と淡々と語った。

 スタッフ会議を終えた指揮官は立花社長に口頭で辞意を表明。試合途中まで観戦していた三木谷オーナーには社長から報告された。指揮官はコーチや選手には一切説明せずに取材に応じた。その後、平石監督代行との話を経て約40分後の午後8時過ぎに、いつもと同じように車の窓を開けて報道陣にあいさつをしてから球場を後にした。人情味あふれる人柄からは、想像できないほどのあっさりとした電撃辞任だった。

 63試合を終えて21勝41敗1分け。開幕から投打にかみ合わず、この日阪神に競り負けて首位とは16・5ゲーム、5位ロッテとも9・5ゲームと今季最も離された。5月に行ったコーチ陣の配置転換も劇薬とはならず。自ら身を引く決意をした指揮官は「今年は開幕早々から、状態が悪い。その責任は取らなくちゃいけない。途中で投げ出すというのは、自分の中でもいろいろあったけど」と無念さをにじませた。

 就任3年目。近鉄、日本ハムをリーグ優勝に導いた名将も、楽天で頂点に上り詰めることは出来なかった。13年の日本一以来2年連続最下位だったチームを5位→3位と、押し上げた。昨季は、8月中旬まで首位を走るなど、頂点へもあと一歩だったが、今季は誤算が重なり合った。「打線がよくなかった。点が取れないのが一つあって、つながりも悪い。(守護神の)松井の調子が良くなかったり、福山も調子が悪かった」。チーム打率、防御率はともにリーグワーストだった。

 今年1月には星野副会長が死去。強い思いを持って臨んだシーズンだったが「絶対に勝たなくてはいけないという思いが逆にプレッシャーになったかなと」と重圧も明かした。監督代行は38歳の平石ヘッド兼打撃コーチが務める。「あと80試合大切に戦いたい。50勝30敗で単純計算借金0になる。そこは最低レベルとして戦っていきたい」と立花社長。38歳以下でチームの指揮を執るのは、近年でも75年の太平洋・江藤慎一監督(開幕時37歳)と阪急・上田利治監督(同38歳)ぐらいしか見当たらない若さ。64歳の12球団最年長監督から、最年少指揮官へバトンは渡された。

 ◆平石 洋介(ひらいし・ようすけ)1980年4月23日、大分県生まれ。38歳。PL学園高では、日本テレビの上重アナと同期。98年春夏甲子園に出場し、松坂率いる横浜高と死闘を繰り広げた。同大―トヨタ自動車から、04年ドラフト7巡目で球団創設1年目の楽天に入団。プロ6年間の1軍通算成績は122試合、打率2割1分5厘。11年から育成コーチに就任しその後1軍打撃コーチ補佐などを経験。16年から2軍監督を務め、今季からヘッド兼打撃コーチ。175センチ、75キロ。左投左打。

 ◆梨田 昌孝(なしだ・まさたか)1953年8月4日、島根県生まれ。64歳。浜田高から71年ドラフト2位で近鉄に入団。強肩捕手としてばかりでなく、独特の「コンニャク打法」も有名だった。ベストナイン3度、ゴールデン・グラブ4度受賞。88年に現役引退。近鉄で2軍監督などを経て2000年から1軍監督。2年目の01年にリーグ制覇を達成。08年から日本ハムの監督に就任し、09年にリーグ優勝を果たした。監督通算成績は12年間で1612試合805勝776敗31分け、勝率5割9厘。

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