【阪神】藤川球児、同世代の松坂、悩める後輩・藤浪を語る…単独インタビュー

スポーツ報知
5月18日、ナゴヤドームで松坂(右)と談笑する藤川

 阪神・藤川球児投手(37)がスポーツ報知の単独インタビューに応じ、独特の野球観を披露した。16日には675日ぶりとなる今季初セーブをマーク。残り「24」で松坂世代初の名球会入りとなるが、全く関心なく、家族最優先で来年以降の野球人生を考えることを明かした。同志の松坂や、悩める後輩の藤浪についても語った。(取材・構成 島尾 浩一郎、長尾 隆広)

 ―今年はすごく調子がいいようだが?

 「普通ですけどね。投げてるポジションとかが、以前(勝利の方程式以外)と違うからだと思うけど、あんまり変わってないです」

 ―クローザーも務める力がある。

 「思っていたとしても、自分が決めることじゃないし、あんまりこだわりはないですけどね。どういう役割を与えられるかということですね。今のチームにはドリスがいるし。監督が決めること」

 ―負け試合の登板も苦にならない?

 「監督は申し訳ないって言ってました。だけど全く何も思わない。だって、どっちでもいい。優勝できればね。クローザーやってるときからセーブは1個もなくていいと思っていたし、Bクラスで40セーブ挙げても何もかっこいいとは思わない」

 ―日米通算226セーブ。あと24セーブで名球会入りだが。

 「興味ないですね。自分の中でその測りはない。でも、その数字を目指したりとか、届いた人たちはリスペクトしなきゃいけない。素晴らしい記録なんで。でも僕自身の価値観はそこにない。ただただ野球が好きでやってるので」

 ―あえて数字的な目標を掲げるとすれば?

 「通算の防御率(現在2・01)。1点台を残したい。先発(16年に防御率4・60)をやって2点台に入ってしまった。クローザーだけやっていたら、絶対にそんな防御率にならない。(ビジターなら大量失点のケースでも)サヨナラで終わるし、1点しか入らない。野球の流れとして、競って負けてるときには何点も入らない。(負け試合のリリーフが難しいのは)勝ってるときはノンプレッシャーだから、ぽんぽんと点が入る」

 ―若い時とは野球に対する考え方が違う?

 「いつも思うのは、変わらない自分でいることですよね。平均点を高く出していくということが自分のやり方なんで。(抑えでも敗戦処置でも)人がいなかったら、そこをやるだけでしょうし」

 ―だからグラブには不動心の刺しゅうが入っている。達観している感じだ。

 「そうじゃないと、(毎試合ブルペンで準備して)できないかな」

 ―その中でも葛藤や我慢みたいなものは。

 「発想を変えたんです。誰かの評価は興味ないというか。選手同士で分かっていればいい。一番はそこ。交流戦でも相手打者から『めっちゃいいボール来てましたね、やばいですね』という声を聞けたし、そういうのがあればいい」

 ―今後、野球選手として目指すところは。

 「パフォーマンスを落とさないことですね。(日本に)戻ってくるときも力が落ちてると言われたんですけど、そういう声に対して自分を奮い立たせることが面白い」

 ―パフォーマンスはこの先どこまで維持できる?

 「もうちょっと選手として頑張ります。あとは、辞めどきというのは、子供の成長の具合と相談しながらですね。(子どもの)学校が変わるとか、そのタイミングで次にどこ行こうとか考えたい。2、3か月、独立(リーグ)でやってもいい。家族でも話してます。いつまでやっても切りがないから。もったいない、いつ死ぬかわからないから」

 ―野球だけが人生じゃないという考えは、頂点を極めたからか。

 「頂点まで登れなかったんで、その発想なんでしょう。自分に対する残念さはある」

 ―頂点はどこだったのか?

 「米国でずっとやることですね。故障してしまって、チャンスがなくなって。その状態のときに引いた。高知に帰ろうと。子供にも野球してる姿を見せることができたので」

 ―チームの若い選手をどう見ている?

 「少ないですね。本当の一人前というのは。今、(誰々と)指折れないですもの。ピッチャーで。野手も若い選手はそうかな」

 ―藤浪はどう?

「まぁ、ゆっくりしましょ。のんびりと」

 ―阪神の高卒ドラフト1位としてのプレッシャーは理解できるのでは?

 「彼もいい経験ですよ。人生において。そこから抜け出せば、本物の選手になれるでしょうし。晋太郎、良くなってくれたらいいですけどね。コーチじゃないので、よく分からないですけど」

 ―周囲の声をあまり気にしない方がいい。

 「自分はそう。どこに行っても、どこのポジションでも、別にメディアにはやし立てられなくても、自分は数字を残す、という気持ちを持っている。気持ちが盛り上がらないから数字が出ないとかは絶対にない。ヤジってくれたらうれしい。『見とけ』って。何も分かってないなって。僕を知ってるのは僕だけ」

 ―いろんな経験を積んできたので、将来はいいコーチになりそうだが?

 「しないです。将来は、嫁さんとゆっくり世界を回って。お金? お金はいらないですね。おかげさまで。人生は1回しかないから、子供のときから殴られながら野球してきて、今でも嫁さんを待たせたり、子供と会えない時間を過ごしたりして。アメリカに行って違う世界も見たので、違う生き方しないと…。でも、野球界の先輩にも感謝しているので。自分からはコーチやりたいとかはないですけど、球界のためにと、お願いされたらやらなきゃいけないとは思いますけど」

 ―松坂が今年復活した。

 「今年の春に、ご飯食べたときに『球児が去年頑張ってるのを見て、絶対もう一回投げたいと思った。セリーグで(一緒に)できるのは本当にうれしい』と言ってくれた。彼が苦しんでる姿を見てたけど、ケガして投げれなくても辞めどきじゃないと思っていた。元々、力を持っている選手だから。(現役を)続けている間は絶対にチャンスはあると思っていた。松坂は天真らんまんで、おおらかな性格。心から仲間といえる存在ですね」

 ―プロに入団当時はライバル視していた。

 「無理やり、かみついたろう。しがみついてやろうという感じでしたね。負けたくないという気持ちはありましたけど、あまりにも遠い存在だった」

 ―松坂世代の選手たちへの思いは?

 「同志ですね。彼らも思ってると思うんですけど、普段会わなくても全然大丈夫。年に1回、2年に1回ぐらいで。もしくは、打席とマウンド(で対戦したとき)、それだけで分かちあえる」

 ―松坂世代は94人がプロ野球選手となり、今はNPBで13人だけ。みんなもがきながら続けている。

 「好きでやってるのに、もがいてると言うのは違う。辞めたらもっと大変。僕はプロの世界から1回離れてるから分かるけど、辞めたときの方がめちゃくちゃ大変だから。早く気付いたもの勝ちですね」

 ◆藤川 球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年7月21日、高知県生まれ。37歳。高知商2年夏に兄・順一とのバッテリーで甲子園出場。98年のドラフト1位で阪神入団。07年の46セーブはセ・リーグタイ記録。12年オフに海外FA権を行使してカブス移籍。13年6月に右肘のトミー・ジョン手術。14年12月にレンジャーズ移籍。15年5月に自由契約となり、同年6月に独立リーグ・高知に入団。同年11月に2年契約で阪神復帰。17年オフに単年契約の年俸2億円で契約を更新。プロ通算676試合、51勝32敗、224セーブ、防御率2・01。MLB通算29試合、1勝1敗2セーブ、防御率5・74。185センチ、85キロ、右投左打。

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