野村沙知代さんのもう一つの顔、少年野球チームのオーナーだった

スポーツ報知
甲子園のスタンドでの野村沙知代さん(2009年6月)野球少年の指導に熱心な一面もあった

 毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人だった。12月8日、85歳の生涯を閉じた野村沙知代さんだ。名将・野村克也氏(82)とはおしどり夫婦で知られた。世間のイメージは、毒舌でワイドショーをにぎわす猛女としての姿だろう。

 もう一つの顔もあった。少年野球チーム「港東ムース」のオーナーとして中学生を指導し、90年と91年には全国優勝も果たした。横浜の名門・中本牧シニアの村上林吉監督(68)は当時、同じ関東地区のシニアリーグで港東ムースと覇を競った。親しみを込め、沙知代さんを「ママ」と呼び、こう回想した。「ママは負けず嫌い。勝負は勝たないといけないという、強気の性格でした」

 村上監督の妻・静代さん(73)は中本牧シニアの元会長として、夫と二人三脚でチームを運営してきた。「『シズ!』と呼ばれてね。沙知代さんはウチとの練習試合に負けると、『もう1試合やろう』と勝つまでやるんですよ」

 この四半世紀で時代は変わった。沙知代さんは当時の指導法について「張り飛ばして、ぶっ飛ばして育てました」と明かしている。特に礼儀と食事にはうるさかった。体を大きくするため、選手の弁当箱を開け、量を調べた。おかずに冷凍食品があると親を呼び出し、手を出すこともあった。行き過ぎた指導は、元選手の父母たちが「解任願」を提出する事態を巻き起こした。

 静代さんは言う。「やり過ぎはやり過ぎだけど、中学生の男子は難しい年頃だもん。家じゃ、親の言うことなんか聞かないでしょ」

 脱税事件の際、東京地検特捜部が調べた結果、年間200~500万円かかる練習場の使用料は、沙知代さんがポケットマネーで支払い、チーム運営は常に赤字だった。静代さんはこう結んだ。「とにかく一生懸命な方。子供たちの将来を真剣に考えていたのは、間違いないと思いますよ」(加藤 弘士)

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